義弟の一周忌
同い年の彼が、2回目の脳梗塞で倒れたのが一年前、そして5月2日にそのまま、目覚めなかった。
脳梗塞の治療過程で、脳内の血管に傷ができ、血をサラサラにする薬も常用していたので出血が止まらず。
そのことを機会に、私も(自覚しながら)だまし続けていたことを、観念して医者にかかった。
血管は硬く、毛細血管はボロボロ
そこにドロドロの血液と高血圧
昔から続いていた手足のしびれもその影響があるし、単なる視力低下と思い込んでいたものも目の中の血管が詰まったり出血したりする影響
もちろん、そのまま放置していたら、心臓か脳内で血管が詰まってアウト。
あるいはボロボロの血管が破れてアウト。
義弟と同じコースだ。
それ以降、元となる病気の治療、並行して血液をサラサラにする薬と、血圧を抑える薬を常用
血管が硬いままストレスで血圧が上がれば、いつどこで爆弾が破裂するかわからない。
なので、ストレス軽減のために「ストレス源」となる人間関係をできるだけ切り離し、役割も減らし。
そのストレス源は、本来一番ストレスから解放してもらえる居場所であり、大切な仲間が集う場所に深くかかわっている。
いつか、その人間関係の距離感が変わって、ストレスとは違う方向に向かうことを願っていたが、身体のほうが待ったなしになってしまった。
大切な居場所から離れることもストレスなのだが、夢や妄想にまであらわれて私を苦しめる「ストレス源」を軽減するには、中途半端な距離感・我慢では解消できない。
まぁ、普通に生きてもそう長くない余生
あらゆるストレスから解放されることはないだろうけど、大切にしたいものの優先順位を見直して、断捨離
体調考えると、いろいろな長期的責任もお断りしていくことに。
この春から夏までで、いろいろ終わっていくので、いったん落ち着こうかと。
でも、PTA・地域関係だけは一つ手放すと別のものが入ってくる。
ま、楽しんでるから、(いろいろ起こるけど)そんなにストレスにならないのが救いか。
人生の夕暮れ
義弟の法事を縁に、いままで言葉にしてこなかったことをちょっと「噤む」から「紡ぐ」にシフトできたかな。
まだまだ噤んでいる「コトバ」のあれこれ、紡ぐ日は来るのかな
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