なかなか本が読めない。去年は5/8までに306冊の本を読んでいる。おととしは527冊だ。今年は179冊と最悪のペースである。卒論、ゼミ、通信制大学(産能、放送、日福)と忙しいのはわかる。通勤時間が一番の学習時間だが、通勤時間そのものが転勤で短くなったのも要因だが、読んでいる本が難しくなっているのも影響かもしれない。
前の大学でお世話になった先生が大学をリタイヤされた。執筆業に勤しんでおられるようだ。かわいがっていただいたので、いまだに文通もしている。先生の書いた本は購入するようにしているが、一番最初に買った本を読むのに時間がかかった。この前でた本は、すぐに読めた。先生に直接手紙で聞いた。「今回の本のほうが早く読めた」と。先生からお詫びの手紙が来た。「実は、最初の本は取材等にたくさんの時間を要したが、ご指摘の本は取材もそこそこで出版した。テーマがよくて、今回の本のほうが売れ行きがいいけど、君にはバレてしまいましたね。」と。
本をたくさん読んでいると、内容の軽重がわかってくる。作家が命を削って世に出した本はいい加減には読めない。一語一語に命が刻まれているのだから、その分時間がかかる。読み手も必死だ。これぐらいの礼儀は尽くしたい。
私は、読む本の全てのページに目を通す読み方だが、読むのに5分もかからない本もある。本の中身が死んでいる。「年間何十冊も出版している」と自慢げに話す人の本に限って、書いている内容はほとんど、前のやつと同じ。文字もでかいし、行間も空きすぎ。こんな本読む価値ないのだが、一応読んでおく。古書店に行くと、同じ本が山のように積まれている。死んだ本の残骸だ。
こんな本は、はっきりいって「百害あって一利なし」だ。しかし、わたし自身、「心打たれる」生きた本に遭遇するのは、年間10冊前後かもしれない。その感動を求めて、乱読をやっているようなものだ。
前の大学でお世話になった先生が大学をリタイヤされた。執筆業に勤しんでおられるようだ。かわいがっていただいたので、いまだに文通もしている。先生の書いた本は購入するようにしているが、一番最初に買った本を読むのに時間がかかった。この前でた本は、すぐに読めた。先生に直接手紙で聞いた。「今回の本のほうが早く読めた」と。先生からお詫びの手紙が来た。「実は、最初の本は取材等にたくさんの時間を要したが、ご指摘の本は取材もそこそこで出版した。テーマがよくて、今回の本のほうが売れ行きがいいけど、君にはバレてしまいましたね。」と。
本をたくさん読んでいると、内容の軽重がわかってくる。作家が命を削って世に出した本はいい加減には読めない。一語一語に命が刻まれているのだから、その分時間がかかる。読み手も必死だ。これぐらいの礼儀は尽くしたい。
私は、読む本の全てのページに目を通す読み方だが、読むのに5分もかからない本もある。本の中身が死んでいる。「年間何十冊も出版している」と自慢げに話す人の本に限って、書いている内容はほとんど、前のやつと同じ。文字もでかいし、行間も空きすぎ。こんな本読む価値ないのだが、一応読んでおく。古書店に行くと、同じ本が山のように積まれている。死んだ本の残骸だ。
こんな本は、はっきりいって「百害あって一利なし」だ。しかし、わたし自身、「心打たれる」生きた本に遭遇するのは、年間10冊前後かもしれない。その感動を求めて、乱読をやっているようなものだ。