思い返すと、産能大学の科目修得試験は12回受験した。A試験5回にB試験7回。資格試験さえ重ならなければ、もっと追加履修してもよかったのですが。。。資格試験と重ならない試験は全て受験しました。また、誇りに思うのは、最後のA・B試験を除いて、前回4科目受験したことでしょうか。最後の試験は予備として受験したので、試験の不合格やTOEICの点数未達がなければ、受験しなかったかもしれません。都合、試験は42科目受験したこととなります。
いうなれば、単位量産体制に入っていた訳で、それで、産能平均3.5をクリアできたのは、いいほうなのでしょうか?テストでいい点をとるのも大切ですが、産能のテキストを手元において、必要に応じて使えるのも、十分なスキルだと思います。会社にも一部のテキストを常備して、必要に応じて使っています。
学問という面だけで産能を完了してしまうと、以前の自分と変わらない。産能で学んだことは実学として、業務に還元しないと、先生方に申し訳ないです。誰だったか(あれ、牧野先生だっけ?)、産能で培った「学ぶ癖」を大切にしてください。という言葉はまさに金言。あのSCで「生涯学習の大切さ」を体得した方が何人いたかしら。あの先生のSCのよさをわからない人が多すぎる。あのSCこそ、学問と実学をコラボレートしたものだと思っています(ちょっとエキサイトしています)。
この産能で学んだことも、5年も経てば古いものとなってしまいます。もし、リカレント教育に関心があり、共感しているのであれば、5年後ぐらいまでには、再度学ばなんで欲しいと思います。陳腐化した知識で満足していた、昔の自分と同じ道をたどって欲しくないから。
ただ、社会人が学ぶということは、「一分一秒まで、金を払っているのだから授業してくれ」という人もいれば、「疲れているから程ほどにしてほしい」という人もいます。その中庸を行ったのが、前述の先生です(だから、私は彼の教育スタイルを認めています)。勿論、通信制大学における、面接授業の時間というのはあるけど、通学している大学でも「休講」というのは多数ありました。その「休講」は、フリーの時間ではなく、自分で学んでくださいという時間でした。
だから、ちょっとの時間でグチグチ言う人は、学問は時間に比例して習得できると誤解している。自分で見つけださないといつまでたっても、学問を習得できないのに、なんか勘違いしている・・・。例え、1分の面接授業でも、事前に学習していれば、先生と話すことで、全てを理解することもできるのです。そして、その1分にめぐりあいたいがこそ、私はSCに参加した(エキサイティング最高潮!)。
「ちょっとは自分で考えてみよう!」というのが教育です。金さえ払えば教えてもらえるというのは、義務教育まで。当然、教えを乞うこともありますが、自分で考えてやることが、もっと大切なのです。
また、タイトルと違う話題となってしまいました。あくまで我論ですので、違う考え方もあると思います。それは、それ、「人間いろいろ!」ということでご容赦ください。
※説教じみて申し訳ないです。でも、まだ、産能ライフが残っている人には伝えておきたかった。時間で学問を測るのではなく、感動で学問を測ることの大切さを・・・。
いうなれば、単位量産体制に入っていた訳で、それで、産能平均3.5をクリアできたのは、いいほうなのでしょうか?テストでいい点をとるのも大切ですが、産能のテキストを手元において、必要に応じて使えるのも、十分なスキルだと思います。会社にも一部のテキストを常備して、必要に応じて使っています。
学問という面だけで産能を完了してしまうと、以前の自分と変わらない。産能で学んだことは実学として、業務に還元しないと、先生方に申し訳ないです。誰だったか(あれ、牧野先生だっけ?)、産能で培った「学ぶ癖」を大切にしてください。という言葉はまさに金言。あのSCで「生涯学習の大切さ」を体得した方が何人いたかしら。あの先生のSCのよさをわからない人が多すぎる。あのSCこそ、学問と実学をコラボレートしたものだと思っています(ちょっとエキサイトしています)。
この産能で学んだことも、5年も経てば古いものとなってしまいます。もし、リカレント教育に関心があり、共感しているのであれば、5年後ぐらいまでには、再度学ばなんで欲しいと思います。陳腐化した知識で満足していた、昔の自分と同じ道をたどって欲しくないから。
ただ、社会人が学ぶということは、「一分一秒まで、金を払っているのだから授業してくれ」という人もいれば、「疲れているから程ほどにしてほしい」という人もいます。その中庸を行ったのが、前述の先生です(だから、私は彼の教育スタイルを認めています)。勿論、通信制大学における、面接授業の時間というのはあるけど、通学している大学でも「休講」というのは多数ありました。その「休講」は、フリーの時間ではなく、自分で学んでくださいという時間でした。
だから、ちょっとの時間でグチグチ言う人は、学問は時間に比例して習得できると誤解している。自分で見つけださないといつまでたっても、学問を習得できないのに、なんか勘違いしている・・・。例え、1分の面接授業でも、事前に学習していれば、先生と話すことで、全てを理解することもできるのです。そして、その1分にめぐりあいたいがこそ、私はSCに参加した(エキサイティング最高潮!)。
「ちょっとは自分で考えてみよう!」というのが教育です。金さえ払えば教えてもらえるというのは、義務教育まで。当然、教えを乞うこともありますが、自分で考えてやることが、もっと大切なのです。
また、タイトルと違う話題となってしまいました。あくまで我論ですので、違う考え方もあると思います。それは、それ、「人間いろいろ!」ということでご容赦ください。
※説教じみて申し訳ないです。でも、まだ、産能ライフが残っている人には伝えておきたかった。時間で学問を測るのではなく、感動で学問を測ることの大切さを・・・。