ドライヤーの音がしているということは、まだまだ、時間がかかるのだろうな・・・
男と違って、女性は外出するにも「かなりのエネルギー」を投下する必要があるらしい。
私なんぞは、髪の毛ボサボサ、ヒゲも伸び放題って感じの「小汚いオヤジ」で、化粧して、小奇麗にしている家内に申し訳ない・・・
まあ、傍から見たら、変な「アベック(この問題、まだ解決していません。誰か、ナウい(これも死語か・・・)言葉を教えてくだされ)」に見えることだろう。
さて、思うのは「修士取ったんだから、学士なんていらねーじゃん」というご意見。私は、これが、非常に気に食わない。修士>学士って、誰が決めたんだろう?
このブログによくコメントを下さる「松本さん」も、法学修士を取得されてから、放送大学や、大学評価・学位授与機構で学士を取得されている。
また、「風竜胆さん」も、工学修士を取得されてから、放送大学で教養の学士を取得されている。
他にも、オフ会で知り合った方々は、工学博士や医学博士を取得しつつ、学位授与機構で学士を取得されている。
さて、元に返って、これらの行動は、おかしな行動なんだろうか?
思い返して欲しい。リカレント教育とは何か?
自分に不足している教育を、再度、教育機関に身を投じて学習することに他ならない。私も経営学では修士であるが、当然、その知識は時とともに陳腐化する。
30年前の経営学修士より、今年卒業の短期大学士の方が、時勢にあった経営学を学んでいるはずだ。
そう、学位は肩書きじゃない。それがわかったもののみが、再度、世間一般では「逆流」と思われるような学習スタイルを取ることができる。
それを私は高度な学習テクニックと私は思っている。学問は、当然、書籍や新聞等で学ぶことができる。しかし、一番効率よく学ぶためには、先達=先生に教えていただくのが効果てきである。通信制大学なら、そこらのセミナーへ行くより、低コストで網羅的な学習ができる。しかも、一定のレベルをクリアしたら、公的に通用する「学位」をも、いただくことができるのだ。
「学位」はいわば、お墨付き。その時点において、一定のレベルを保証するものとなる。(無論、陳腐化していくのであるが・・・)
修士>学士ではない。例えば、教育と言う分野に限定すれば、教育学士>農学博士ってこともありえるし、教育学士>工学修士というのもありえるのだ。
要は、TPOにあわせた使い方である。そのTPOに、オールマイティであわせることができるように、たくさんの知識や、その証明となる資格や学位を取得する。
一発勝負で、ピンポイントに質問や照会に、その場で答えられれば申し分ないのだが、私は、最近ボケているので、直ぐには答えがでないことがある。そういったとき、裏づけがあれば、「たまたま知らなかっただけなのね」とか「度忘れされたのね」と好意的に受け取っていただけることもあるのだ。(その場で出なくても、時間をくれればちゃんとしたレポートで返すのですが・・・)
あっ、家内の準備が整って、私の方が待たせる立場になっていた。それでは、行ってきま~す!