部屋中本だらけ。まるで「古本屋」って感じ。
分野によっては図書館より充実している。年間、500~600冊も読んでいれば、本は勝手に溜まっていく。
では、何故、私はそれほどに本が好きなのか?それは、本とは、いにしえの先達の知識の集大成、あるいは人生の成果物であるからだ。
先達は、自分の人生の貴重な時間を削って「本」という成果物を書き上げた。本によっては何十年とまとめるのに時間がかかったものもあるだろう。
しかし、我々は、数千円(古本なら半額、図書館ならタダ)で、その内容を得ることができる。
他人の何十年を、わずかなコストで、しかも数時間で身につけることができるのだ!驚くべきことと思わない?
文明や文化もそう。何気なく使っている、文字や言語も、人類の歴史の集大成。算数・理科は実験や検証による証明の蓄積。社会科はまさに人間の歩み。
我々は、何もせずに、無為に生きていくとすれば、先達の英知にタダ乗りする「フリーライダー」と言わざるを得ない。
何でもいいから、後世に影響や刺激を与えることができなければ、フリーライダーで「人生タダ乗り」ってことにならないか?私はそれを最も恐れている。
今じゃなくてもいい。将来、何かお役に立てる日がくるのではないか?そう思っているからこそ、多くの過去の遺産とも言える本を読み、将来の発見を模索しているわけだ。
無論、仕事で自己実現を図っていくことも尊い。しかし、私の破天荒な考えや実行力はあまりに仕事向きではない。逆に、そういうことにピッタリな個性の方もいるわけで、要は適材適所である。
私の好きな歴史上の人物に「太公望呂尚」がいる。太公望の通り、将来あるかどうかもわからぬ機会を、気長に待つといたしましょう。