生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

漢検哀れむ・・・

2009年04月19日 09時37分09秒 | ちょっと立ち止まって・・・
もうこのテーマで書いたかしら?

その昔、私が大阪で働いていた頃、「漢検協会で働きませんか?」とお話をいただいたことを。

新しい資格を作るらしく、私にお声をかけていただいたらしい。漢検は京都が本部なので、実家も近く、新たな資格を作るといったプロジェクトなので、迷いがなかったかといえばウソになる。

ただ、当時は仕事の方も、中国長期出張等、充実していたときだったので、返事をせず、ほっておいたら立ち消えとなっていた。

人生、非常に波乱万丈である。就職活動した時に声をかけてくれた企業が「倒産」「破綻」「経営不振」「併合」「業務縮小」等、大変な状況になっている。また、途中でスカウトしてくれた企業が、「経営危機」や「社会の指弾」を受けたりしている。

塞翁が馬ってところかしら。それに、今、私の勤めている企業も絶対安泰かといえば、そんな保証はどこにもないし、私自身、リストラされないかといえば、そんな保証もどこにもない。

事実、多くの銀行に公的資金が導入された際、従業員の給与は一律ダウンとなったし、数々の福利厚生も、その多くが廃止となった。保養所だけでなく、社宅や独身寮も次々と閉鎖されていった(その結果、私も目黒から小平に移ってきたのです)。

本当に先の先は読めない。なんせ、私が今の会社に勤める決断をしたのは、一番最初に内定をくれたからといった理由のみ。内定さえもらえれば、どこでもやっていく「自信」があった。それほど、自分の能力を「過信」していた。「過信」というより「誤信」である。

実際、会社に入ると自分より能力の高いやつは山のようにいた。「過信」は「不信」となり、日々過ごしていくだけで手一杯だった。能力がなくても、年次が上がれば仕事の水準は高くなる。その水準をクリアできない・・・

そういう状況に、タイミングよく、声をかけてもらうと、フラフラ~っと、転職したくなりそうなものだが、根が臆病者かつ義理堅いタイプの古風なやつなので、未だに同じ会社に勤めている。

しかし、声をかけていただいた以上、漢検協会に、このまま溺れず、復活してもらいたいと思っている。協会が存在する意義はあるはずだし、これからも活躍していく余地はいくらでもある。

だからこそ、今一度、役割期待を再認識し、存在価値を高めるような施策を打ち出していってもらいたい。(1000字)
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学生証更新シール!

2009年04月19日 09時34分52秒 | 明星大学大学院
本学より送られてきました!
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1/4

2009年04月19日 06時24分19秒 | 資格
あくまでも、修士論文作成の一環として・・・

な~んて、ほざいているが、自分の趣味の範疇と叱られるかもしれない。TAC出版が、「最強の資格選び100」というのを出していて、以前、購入した2006年度版が手元にある。

TAC資格研究会編ですと!「資格研究会」って響き、すごいな~。できれば、会員になりたいものである(笑)。

「資格の学校TACが選んだ今すぐ役立つ資格情報満載」とあり、なんとなく、この100の資格のうち、一つでも取れれば、「今すぐ役立つ人間」になれそうな気がする~♪

でも・・・情報系の資格が21もある上、公務員が4つある。これって、文系一般人にはムリでしょ!

とはいえ、チェックしていくと、100のうち25の資格を保有していることが判明!そう、1/4である。なんか、「とっても、今すぐ役立つ人間」になれた気がして、嬉しく思っている。

しかし、MBAを資格と言い切るTAC資格研究会の判断はどうかしら?MBA=経営学修士だから、学位(⇒学士、修士等)を資格に入れることとなる。それをした場合、私の資格の数は9増えてしまう。トータル230か・・・それはそれで悪くない。でも、資格は数じゃないから。

確かに、30代の時の私は資格の数にこだわっていた。「数は力なり」って感じ。しかし、数を増やそうとする情熱は、大学で、あるいは大学院で真剣に学ぶようになってからはこだわらなくなってしまった。資格を取る以上の学習があることを認知したからであろう。

正直、スクールに通わないなら、資格取得の道のりは、孤独の闘いといえる。いいところ、ネットで励ましあうくらいだろう。だが、学位をとるために正科生として所属すれば、仲間が生まれ、人としてのつながりができる。

そのつながりが非常に心地よいのである。だから、資格取得にのめりこみ、数だけなら、かなりのレベル到達したものの、一線から退いてしまった。むやみに資格を取っても、メンテナンスできないから。なら、単位をコツコツとり続け、学び続ける学位の方が、知識を磨き続けているような気がする。

学位取得に情熱を傾けるようになって5年。しかし、その、たった5年間で8つもの学位を取得することができた。情熱とは、一見不可能なことを可能にしてしまうから恐ろしい。資格道も続けるが、やっぱ学位道が優先してしまう。(1000字)
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時代も移り・・・

2009年04月19日 05時36分34秒 | 旅行
昨日、憑かれたように韓国の記事を書いた。

その際、BGMとして、韓国民謡が流れていた。アリランとか、トラジとか、密陽アリランとか、恨五百年とか・・・

最近?は、韓国の歌謡と言えば「東方神起」らしい・・・私のように、韓国民謡に感涙するような人種は受けない。

今の、彼らの活躍を見ていると、私が韓国に始めて行ったときの「消防車」のブームを思い出す。また、オリンピックだったから「ウ~リ~テハンミンク」と唄っていたり、ミン・へギョンが流行っていたり、イサンウンが魂を揺さぶるかのごとく唄っていた。

今でも大切にカセットを持っているのが、PARK HYE RYOUNGの「サランエウィミ(愛の意味)」というカセットで、B面に私の好きな「KOREA」とうい曲が入っている。

この曲は、オリンピック前に韓国を特集するような番組を毎週深夜にやっていたのだが、そのエンディングに、日本では「少女隊(懐かしいね~)」が唄っていた曲である(英語だったけど)。

ちょっと、ウィキペディアで調べてみたら・・・

>1988年にはソウルオリンピックのイメージソング「KOREA」を歌い、
>韓国でも大ブレイク。1988年8月18日には日本語の曲が禁止されていた
>韓国で、戦後初めて放送で日本語で歌い、話題にもなった。その後、
>韓国の若者の間にJ-POPが流行る引き金になり、日本文化開放の流れに
>大きな影響を与えた。

やるな~少女隊!とはいえ、この「KOREA」という曲は、本当にいい曲で、今でも時々、英語、韓国語でサビの部分を鼻歌で唄っていることがある。無意識なんですけど・・・

もう、既に20年以上前の話。記憶がおぼろげなのもムリはない。しかし、日本文化の開放に「少女隊」が大きな足跡を残していたとは!

それにしても、一方のPARK HYE RYOUNGは、今、どうしているのかな・・・数年前に、NHKの韓国語講座に、チラッと出ていた気がするのだけど。。。
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TVを見ていたら・・・

2009年04月19日 05時23分20秒 | 産業能率大学大学院
今、TBSで「東京ウォーキングマップ」が放送されている。

本日は「目黒」がテーマらしく、「行人坂」や「目黒川」が出てきた!ここは、当に、産業能率大学代官山キャンパスのお膝元ともいえる。

坂が多く、桜が多いこの地。私は、中目黒から通学していたので、厳しい坂に足腰が鍛えられた上、春は家族を伴って、目黒川沿いを花見したものである。

小平に移る前は目黒区に住んでいたのだが、目黒も桜が身近にある土地であった。また、ここ小平も、マンションから周辺を眺めると、ところどころにピンクの帯が見える程、桜が咲き乱れるところである。

桜の花に母校の思い出。何かと、繁忙な日々を送っているが、通学しながら勤務していた昔の方が忙しかったかな・・・と、不思議な気持ちになっている。
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