最近は読書冊数を記録にとどめていないため、年間何冊読んだかは不明である。
ただし、ちゃんとした本だけで、年間500冊以上は読んでいるはずである。雑誌他をカウントすると(あるいはカウントしなくても)1,000冊以上読んでいるだろう。
サラリーマンでは多読な方だろう。とはいえ、暗記するために読んでいる訳ではないから、「最近読んだ本の名前を挙げよ」と言われても、さっぱりわからない。
世の中には、読んだ本の名前や、重要なフレーズを諳んじる輩も多いのだが、それって、私は好きではない。何故なら、よっぽど、瞬間的に記憶できる人を除いて、そのフレーズを発表する機会を思い描き、虎視眈々と「凄いね~!!」って言われるのを狙っているように思えてならないからだ。
無論、「自分の人生の座右の銘として」とういうこともあるだろう。でも、座右の銘を10も、20も集める必要はなかろう。感動したフレーズを残したい気持ちもわからぬでもないが、手帳に書いたりした瞬間から、そのフレーズの呪縛により、そのフレーズ以上の発展は望めなくなると感じている。
借り物のフレーズには「自分の考えがない」ため、なんだか、落ちないのである。むしろ、多読することで、多くの理(ことわり)を知り、自分の頭の中で咀嚼し、反芻することで、体得することの方を私は好む。
とはいえ、多読するためには多くの本と出合わなければならない。すべての本を定価で購入していたら、きっと経済的に破綻しているだろう。そもそも狭い家だから置くスペースも限定されているし。大多数を図書館で借りることとなる。あるいは古本屋で買うこともあるし、時にはいただくこともある。本をいただくことはこれ以上ない喜びである。図書カードなんぞもいただくのだが、意外と、買う本を迷ってしまい、挙句、偏った分野の本しか買えない結果となる。
とにかく年間読書冊数0冊の人は1冊手にとって読んでみる。お勧めの本なんてない。一番最初に目についた本が運命の本である。あなたに読んでほしいから、あなたの目の前に現れた「愛い奴」なのである。あるいは、神が使わした運命を変える伝道者なのかもしれぬ。
本を読むことは、書き手の人生を共有することである。書き手が3年かかった本を1週間で読んだとしたら、1週間で3年分の価値を得たこととなる。人生80年しかないかもしれないが、実質、1,000年生きることも可能なのだ。というか、我々の日常生活自体、時代の先達の英知の結晶であり、だからこそ、これだけ快適に、便利に、生きやすくなっているわけなのだ。昔なら、何万年かかってもできなかったことが、今の我々には文明の力を使ってできるのだから。
話を戻すと、読書は知らないことを知らしめてくれる機能と、知らないことを考えさせてくれる機能がある。知らないことを「知ること」は好奇心を充足させてくれるし、「考えさせてくれること」は探究心を奮い起させてくれる。だから、自分の成長を実感しやすいといえる。
何も読まず、何も知らなくても、人生を過ごしていくことは可能である。しかし、一つでも知っていることが増えていくと、人生は更に豊かになっていく。そう、まるで、本の著者が人生を寄り添ってくれるがごとくである。
しかも、多読することで、多くの人生の師ともいえる本に出会うチャンスが多くなる。だからこそ、1冊でも多くの本と接していくことが有益だと思っている。
ただし、ちゃんとした本だけで、年間500冊以上は読んでいるはずである。雑誌他をカウントすると(あるいはカウントしなくても)1,000冊以上読んでいるだろう。
サラリーマンでは多読な方だろう。とはいえ、暗記するために読んでいる訳ではないから、「最近読んだ本の名前を挙げよ」と言われても、さっぱりわからない。
世の中には、読んだ本の名前や、重要なフレーズを諳んじる輩も多いのだが、それって、私は好きではない。何故なら、よっぽど、瞬間的に記憶できる人を除いて、そのフレーズを発表する機会を思い描き、虎視眈々と「凄いね~!!」って言われるのを狙っているように思えてならないからだ。
無論、「自分の人生の座右の銘として」とういうこともあるだろう。でも、座右の銘を10も、20も集める必要はなかろう。感動したフレーズを残したい気持ちもわからぬでもないが、手帳に書いたりした瞬間から、そのフレーズの呪縛により、そのフレーズ以上の発展は望めなくなると感じている。
借り物のフレーズには「自分の考えがない」ため、なんだか、落ちないのである。むしろ、多読することで、多くの理(ことわり)を知り、自分の頭の中で咀嚼し、反芻することで、体得することの方を私は好む。
とはいえ、多読するためには多くの本と出合わなければならない。すべての本を定価で購入していたら、きっと経済的に破綻しているだろう。そもそも狭い家だから置くスペースも限定されているし。大多数を図書館で借りることとなる。あるいは古本屋で買うこともあるし、時にはいただくこともある。本をいただくことはこれ以上ない喜びである。図書カードなんぞもいただくのだが、意外と、買う本を迷ってしまい、挙句、偏った分野の本しか買えない結果となる。
とにかく年間読書冊数0冊の人は1冊手にとって読んでみる。お勧めの本なんてない。一番最初に目についた本が運命の本である。あなたに読んでほしいから、あなたの目の前に現れた「愛い奴」なのである。あるいは、神が使わした運命を変える伝道者なのかもしれぬ。
本を読むことは、書き手の人生を共有することである。書き手が3年かかった本を1週間で読んだとしたら、1週間で3年分の価値を得たこととなる。人生80年しかないかもしれないが、実質、1,000年生きることも可能なのだ。というか、我々の日常生活自体、時代の先達の英知の結晶であり、だからこそ、これだけ快適に、便利に、生きやすくなっているわけなのだ。昔なら、何万年かかってもできなかったことが、今の我々には文明の力を使ってできるのだから。
話を戻すと、読書は知らないことを知らしめてくれる機能と、知らないことを考えさせてくれる機能がある。知らないことを「知ること」は好奇心を充足させてくれるし、「考えさせてくれること」は探究心を奮い起させてくれる。だから、自分の成長を実感しやすいといえる。
何も読まず、何も知らなくても、人生を過ごしていくことは可能である。しかし、一つでも知っていることが増えていくと、人生は更に豊かになっていく。そう、まるで、本の著者が人生を寄り添ってくれるがごとくである。
しかも、多読することで、多くの人生の師ともいえる本に出会うチャンスが多くなる。だからこそ、1冊でも多くの本と接していくことが有益だと思っている。