まだ、放送大学大学院の第1次選考に合格しただけなのに、たくさんのお祝いのコメントを賜り困惑している・・・
これで、面接試験不合格だったらどうしよう。大学院って、正直、「実力の世界」ではない。今でこそ、大学院重点化施策により、東大等でも他大学からの進学者が多く存在しているが、その昔は、内部進学者が多く占めていた。そう、実力よりも、教授とのコネが物をいう世界なのである。
学校によっては、事前に志望の研究室を訪問しておかなければならないところもあったりする・・・
また、どんなに天才であっても、研究計画書が「的外れ」の場合、不合格になるケースが多い。だって、指導教官も自分の専門と余りにかけ離れていると、指導できませんから。
あるいは、面接で落とされる・・・大学と違って、かならず面接があり、大学時代に優秀な成績であったとしても、フィーリングが合わないと落とされる。あるいは人間的に問題があってもNGである。教授も人の子、人間的に問題がある学生を指導したくはない。ましてや、コミュニケーションが取れない学生も、指導しづらいし、そんなところでストレスをかかえたいとは思わない。
だから、「実力オンリー」の世界でないことはわかっていただけると思う。ゆえに、複数の大学院を修了していても、合格できるとは限らない。毎回、毎回、真剣勝負なのである。
ただ、そんな世界だからこそ、自分を偽ってまで合格したいとは思わない。自分を飾って面接に臨むと、後の2年間の指導の間も、自分を偽って行動しなければならなくなる。そんなの、絶対イヤだし、そもそも、自分という個性で見て欲しいのに、教授に迎合するのは筋違いである。
修士なら2年で求められるもののハードルが(博士と比べて)比較的低いのでなんとかなるのだが、博士課程では、教授と合わないから大学を変えるケースも聞いたことがある。「このままだと、絶対、博士の学位が取れないから・・・」と、途中で学校を変えるのだ。こんなケースを聞くと、最初に、不合格にしてもらったほうがよかったのに・・・と思ってしまう。
だから、私は、大学院に不合格って話を聞いても、その人が劣っているとは絶対に思ったりはしない。むしろ、果敢にチャレンジした勇気ある戦士と思ってしまう。そう、挑戦することは、非常に勇気がいるのだ。それすらしたことがないのに、「××さんは試験に落ちた」と陰口するようなやつには反吐がでる。そんな陰口を吐く暇があるなら、一度、チャレンジしてみろ!と、言いたくもなってしまう。
たまたま、研究計画書を引き取ってくれる指導教官がいなかっただけかもしれない。でも、その研究計画書の内容は、世間一般の教授ではついていけない、時代の最先端を突っ走るテーマかもしれない。しかし、そのようなケースでも、やはり不合格となってしまうのだ。なんせ、その研究計画書の凄さがわからないのだから。
あるいは、基本的には2年で修了しなければならないのに、壮大なテーマで臨まれても、やはり教授はついていけない。特に、通信制大学院の先生は、毎日、指導を受けることができるわけではない。限られた回数の指導で、一応、形ある最終成果物を作り上げるためには、限定的な、絞りに絞りきった内容でないと、疑義が付けられてしまう。
「あなたは本当に、このテーマで修士論文をまとめることができると思っているのですか?」と。
その時点で、ほぼ、敗戦投手は決まっている。にもかかわらず、「2年でダメなら、最長在籍期間を使い切ってでもまとめます。」と答えた瞬間、負け投手確定である。指導教官予定者に楯突いたこと、ムリといわれているテーマに取り組もうとしていることだけでも大罪なのだ。
加えて、指導教官が永遠に本学にいるとは限らない。事実、武蔵野大学大学院における指導教官は、今年で最後である。大学院での指導期間はわずかに2年。私も今年落とすと、違う指導教官の下で、新たなテーマで課題に取りくまなければならない可能性がある。だから、指導教官も、「今年で決めましょうね!」と励ましてくださる。
そう、最長在籍期間まで同じ指導教官が付き合ってくれるとは限らないのだ。ましてや、取り組み困難なテーマで指導を求める学生をムリして合格させてしまうと、万が一の場合、引継ぎする先生に迷惑をかけてしまうので、そのようなテーマの学生は、自ずと消極対応となってくる。特に、大学を変わる可能性のある、私立大学の名物教授の場合、お慈悲で「不合格」となるケースもあるのだ。5年、6年かけても修了できないなら、最初に不合格にするのが真の情けであろう。
そして、心優しい先生なら、不合格を匂わせる際に「そのテーマは博士クラスですね」と(本当は違うのだが)、ねぎらいの言葉をかけてくださることだろう。また、まだ間に合うから、他の大学院を探しなさいという気遣いともいえる。
取りとめもなく書いてきたが、3回大学院に合格したおやじの戯言として聞き流していただいて結構。でも、これから、大学院を目指すのなら、テーマが大切だということ、できれば、先輩や、大学の先生と相談して、事前に妥当か見極めることをおすすめします。
これで、面接試験不合格だったらどうしよう。大学院って、正直、「実力の世界」ではない。今でこそ、大学院重点化施策により、東大等でも他大学からの進学者が多く存在しているが、その昔は、内部進学者が多く占めていた。そう、実力よりも、教授とのコネが物をいう世界なのである。
学校によっては、事前に志望の研究室を訪問しておかなければならないところもあったりする・・・
また、どんなに天才であっても、研究計画書が「的外れ」の場合、不合格になるケースが多い。だって、指導教官も自分の専門と余りにかけ離れていると、指導できませんから。
あるいは、面接で落とされる・・・大学と違って、かならず面接があり、大学時代に優秀な成績であったとしても、フィーリングが合わないと落とされる。あるいは人間的に問題があってもNGである。教授も人の子、人間的に問題がある学生を指導したくはない。ましてや、コミュニケーションが取れない学生も、指導しづらいし、そんなところでストレスをかかえたいとは思わない。
だから、「実力オンリー」の世界でないことはわかっていただけると思う。ゆえに、複数の大学院を修了していても、合格できるとは限らない。毎回、毎回、真剣勝負なのである。
ただ、そんな世界だからこそ、自分を偽ってまで合格したいとは思わない。自分を飾って面接に臨むと、後の2年間の指導の間も、自分を偽って行動しなければならなくなる。そんなの、絶対イヤだし、そもそも、自分という個性で見て欲しいのに、教授に迎合するのは筋違いである。
修士なら2年で求められるもののハードルが(博士と比べて)比較的低いのでなんとかなるのだが、博士課程では、教授と合わないから大学を変えるケースも聞いたことがある。「このままだと、絶対、博士の学位が取れないから・・・」と、途中で学校を変えるのだ。こんなケースを聞くと、最初に、不合格にしてもらったほうがよかったのに・・・と思ってしまう。
だから、私は、大学院に不合格って話を聞いても、その人が劣っているとは絶対に思ったりはしない。むしろ、果敢にチャレンジした勇気ある戦士と思ってしまう。そう、挑戦することは、非常に勇気がいるのだ。それすらしたことがないのに、「××さんは試験に落ちた」と陰口するようなやつには反吐がでる。そんな陰口を吐く暇があるなら、一度、チャレンジしてみろ!と、言いたくもなってしまう。
たまたま、研究計画書を引き取ってくれる指導教官がいなかっただけかもしれない。でも、その研究計画書の内容は、世間一般の教授ではついていけない、時代の最先端を突っ走るテーマかもしれない。しかし、そのようなケースでも、やはり不合格となってしまうのだ。なんせ、その研究計画書の凄さがわからないのだから。
あるいは、基本的には2年で修了しなければならないのに、壮大なテーマで臨まれても、やはり教授はついていけない。特に、通信制大学院の先生は、毎日、指導を受けることができるわけではない。限られた回数の指導で、一応、形ある最終成果物を作り上げるためには、限定的な、絞りに絞りきった内容でないと、疑義が付けられてしまう。
「あなたは本当に、このテーマで修士論文をまとめることができると思っているのですか?」と。
その時点で、ほぼ、敗戦投手は決まっている。にもかかわらず、「2年でダメなら、最長在籍期間を使い切ってでもまとめます。」と答えた瞬間、負け投手確定である。指導教官予定者に楯突いたこと、ムリといわれているテーマに取り組もうとしていることだけでも大罪なのだ。
加えて、指導教官が永遠に本学にいるとは限らない。事実、武蔵野大学大学院における指導教官は、今年で最後である。大学院での指導期間はわずかに2年。私も今年落とすと、違う指導教官の下で、新たなテーマで課題に取りくまなければならない可能性がある。だから、指導教官も、「今年で決めましょうね!」と励ましてくださる。
そう、最長在籍期間まで同じ指導教官が付き合ってくれるとは限らないのだ。ましてや、取り組み困難なテーマで指導を求める学生をムリして合格させてしまうと、万が一の場合、引継ぎする先生に迷惑をかけてしまうので、そのようなテーマの学生は、自ずと消極対応となってくる。特に、大学を変わる可能性のある、私立大学の名物教授の場合、お慈悲で「不合格」となるケースもあるのだ。5年、6年かけても修了できないなら、最初に不合格にするのが真の情けであろう。
そして、心優しい先生なら、不合格を匂わせる際に「そのテーマは博士クラスですね」と(本当は違うのだが)、ねぎらいの言葉をかけてくださることだろう。また、まだ間に合うから、他の大学院を探しなさいという気遣いともいえる。
取りとめもなく書いてきたが、3回大学院に合格したおやじの戯言として聞き流していただいて結構。でも、これから、大学院を目指すのなら、テーマが大切だということ、できれば、先輩や、大学の先生と相談して、事前に妥当か見極めることをおすすめします。