生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

学生数

2011年11月07日 08時19分54秒 | ちょっと立ち止まって・・・
お休みを頂いたので、少々、ファイルの整理をしている。

本当は、レポートを書かねばならぬのだが、なかなか、書くことができず、少々長めの休憩といったところだろうか。既に、その作業は3日目に突入しているから・・・

そんな中、明星大学大学院で修士論文を書いた際に活用した(と思われる)、文部科学省発表の学生数のエクセルシートがあった。平成20年において、社会人大学院生は、博士課程で24,568人(社会人以外を含む全体で74,231人)、修士課程で20,043人(同165,422人)、修士課程で9,056人(同23,033人)となっている。

院生多すぎ!

社会人の博士課程在籍者が約2万5千人もいるのだから、社会人修士なんてアカデミックでは評価の対象にすらならない。ましてや、博士の卵が7万5千人もいるのだから、博士を取得しても働き口がないことは、自明の理であろう。

とはいえ、大学院にすらいってなくても、実務家教授とか、官僚出身で教授になる人がいるのも、また事実。特殊な実務経験は、それこそ、何万人もいる博士より、珍重されるのである。

もうお分かりだと思うのだが、学位はそれ単独では存在しないということである。無論、学校を運営していく上で博士の数は大切なのだが、それだけでは、学生が集められない現状では、顕著な研究実績や、功績のある人物の方が優遇される。その人が、できれば博士を持っていれば最高なのだが、修士でも、場合によれば学士でも、いや、それ以下でもかまわない。

一方で、アカデミックでは評価されない学位でさえ、一般社会では「驚きの対象」となる。それは、一般社会では修士や博士を持つ人間が少ないからである。無論、理系の研究室では、学位保有者はウジャウジャ棲息しているのだが、文系社会において、修士以上の学位保有者は珍しい!

しかし、おもしろいことに、「驚きの対象」にはなれるのだが、「評価の対象」には概ねなれない。珍しいので「おぉ、凄~い!」って言われることは、確かに多い。だが、私の周囲では、学位を取得したから大出世、あるいは、学位を取得したら給与の大幅アップっていう話は皆無である。

そう、学位取得者が珍しい分、評価する風習も存在しないのである(笑)。本人の人事データにちょこっと追加されるか、報告させてオシマイの世界が一般的である。「勉強、好きなんだね~」と奇異の目で見られるだけ。このブログにも、比較的多数の修士以上の学位取得者が訪問されるのだが、どなたか、「俺、2階級特進したぜ!」とか「給料倍増!」とか「アメリカに派遣されます!」とか、オイシイ思いをした人がいたらご報告ください。

概ね、日本社会では、入社後取得した修士は認められない。博士取得者は回りにほとんどいないから、断言できないが、高学歴ワーキングプアの状況からしても、それほど、優遇されるとは思えない。だから、リターンを前提に借金までして大学院に行くと、大変な目にあう。って、そんな話が水月先生のワーキングプア三部作に掲載されている。

それでも、私は学ぶことについては、熱烈に推奨したい。見返りを求めると真の悟りは啓けない。それ以前に、何故、自分が学ぶことに対して見返りが必要なのだろうか?「見返りを要求」という前提があるからこそ、その見返りを手に入れられないと「裏切られた」「失敗した」「無駄な時間やコストを投下してしまった」と、怨嗟の念を抱くこととなってしまう。

学習は、何も裏切っていない。自分が勝手に「夢」を思い描いただけで、その「夢」の通りにいかなければ恨まれるというのは、理不尽極まりない。

「夢」に向かって、勉強したり、資格を取得したり、学校へ行くのはすばらしいことである。しかし、その「夢の実現」を強制することが、すなわち、「見返りの要求」であり、この一線を越える瞬間から、生涯学習は「学習」ではなく、「投資」≒「ギャンブル」となり下がってしまう。

で、投資したもの以上のリターンがないと、「負けた」との思いで、不平不満が噴出するのだ。残念この上ない・・・

自分ひとりで学べる人は、まず、いない。少なからず、会社や家族、その他、関係する人々に迷惑をかけつつ、学びというものは成立する。にもかかわらず、学べること自体を感謝するのではなく、当然のごとく学べると勘違いし、しかも当然のごとくある種のリターンが受け取れると思うのは、私の学びの姿勢とは、大きく反している。

無論、海外MBAのように、数千万かけて取得する学位もある。なら、それなりのリターンを要求するのも道理があるように見えるが、少なくとも、私の思う学習とは違っている。

「金」と「時間」と「能力」があれば、一見、無敵に見えそうだが、やはり、人生を左右するような恩師に会えるとか、数年間、体を壊すことなく継続して学習できるとか、諸々の、弊害を克服することで、初めて、学習は一段落することができる。自分の力だけで、すべて上手くいっているわけではないのだ。だから、感謝もするし、その結果に対して、無条件で受け入れることが必要だと思うのだ。

しかも、学ぶべき人は、学ぶべきタイミングで、学びにいざなう、大きな流れを感じることができるはずなのである。本当に、不思議なのだが、そのように、この世界は仕組まれている。

その不思議な力を信じるか、否定するか・・・ただ、それだけ。
その不思議な流れに乗るか、離脱するか・・・ただ、それだけ。

素直に、学ぶべきタイミングを掴んだ人が、数多く、このブログに訪問してくれている。今までそうでなかった人は、今、この瞬間が、その流れの一端なのかもしれない。このタイミングで、流れに逆らわなければ、きっと、「大きな力の導き」を得ることができるだろう。

※レポート1本分の長文、読みきった方、お疲れさまでした。ついつい、駄文を書き連ねてしまいます。最初は、学生数の話だったのに、最後は、なんだか、神懸かってしまい、申し訳ございません。
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今日の富士山!

2011年11月07日 06時33分53秒 | 富士の高嶺
曇り空ですが、富士山が見えます。

やはり、頂上付近が白く見えるのは雪のせいでしょうか。
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