生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

資料請求中!

2012年02月26日 21時42分14秒 | 大学評価・学位授与機構
機構に「新しい学士への途」を請求し、本日テレメールで発送されたとの通知があった。

既に告知しているとおり、これから2年間は機構の学士を狙うことはできない。まあ、密かに受験すればバレないのかもしれないが、これだけ、大々的に告知したら、もう、そんな反則技を使うことはできなくなる(笑)。

やはり、ネットに記載した内容から、現役の大学生のため、受験資格がないことが機構サイドに見つかってしまい、不合格になってしまった事例を聞いたことがあるような、ないような・・・

まあ、これだけ、おおっぴらにブログに載せている以上、ルール違反をするつもりはまったくない。放送大学との二重学籍をシークレットにすれば、「完全犯罪」も成立するのかもしれないが、表に出せない「後ろめたい学歴」を積み上げても、全然うれしくない。というか、それ以前に、ルール違反してまで機構の学士とは取得する価値があるのだろうか?知らぬがゆえにルールを逸脱してしまうのは人間だからやむを得ない。それを知った段階で更生すればいい。しかし、機構の学士については、明白に大学在学者は不可となっているのだから、そのルールが、たとえ納得できるものではなくても、現状は従わざるを得ない。

その点も、放送大学大学院で詰めていきたいと思っているのだが。

さて、無論、機構の学士を研究するため、最新版の「新しい学士への途」ぐらい手元においておくべきと思っているのだが、それ以上に、受験料の改正があるのか、ないのか、それを知りたいと思っている。

事業仕分けで叩かれ、受験者にもアンケートをとって、受験料アップのための下地は整っている。いったい、どのタイミングで、どれだけ値上げをしてくるのか・・・ヘビーユーザーとしては、非常に気になるところである。無論、1万円ぐらいあがってもいいから、ちゃんと、単位の仕分けとか対応してくれれば文句はないのだが・・・

生涯学習に対応した学位取得スキームを構築すれば、十分ペイする事業なのだが、ユーザーにとって優しくない、わかりづらい制度が難点である。でも、制度が複雑だからこそ、まつもと先生の著書が売れるやもしれないのだが。

考えても見てほしい。「新しい学士への途」という名の申請案内が120ページを超過し、それに対して、解説本が何冊も出版されるなんて、奇妙奇天烈といわずして、何と言えばいいのだろう?制度の方向感は正しいにもかかわらず、それがアカデミックな域を超越しえないことが、残念かつユーザーに支持されない結果を生んでいるといえよう。
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燃え尽き・・・

2012年02月26日 20時53分18秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今は院と院との端境期。

武蔵野大学大学院の修了式を約3週間後に控え、その後、1ヶ月後に放送大学大学院の初回オリエンテーションが開催される。ゆえに、今は、特段やらなければならないことはない。で、やりたいと思うこともない。いわば、燃え尽き症候群なのであろう。

本日も、食料品を買いに行ったのと、そのついでにガソリンを入れて洗車したくらい。前向きな学習は何もしていないし、何もできない状況である。

大学院での学習は、このブログで見ていると、非常に容易な感じもするだろうが、意外と憔悴する。特に、最初の産業能率大学大学院での学習では、結局、10キロ痩せましたから。ストレスで過食嘔吐を繰り返す・・・「規則正しい時間」というものが形骸化し、そのころのブログの書き込みには、「フラ夫さん、いつ寝てるんですか?」というのが多かったように記憶している。

明星は痩せこそしなかったが、産業能率大学でのコンサルティングワークショップ(=修士論文相当の科目)とは違い、正式に修士論文を書かねばならなかった。初めての修士論文に戸惑い、なかなか成果物がまとまらなかった。

武蔵野では、特定課題研究演習(=修士論文相当)よりも、単位がなかなか取れずに精神的に追い詰められてしまった。院生の生活は基本的に1年次に修了に必要な単位の大半を履修し、2年次は修士論文に集中するのが一般的である。それが、カリキュラム的に武蔵野では不可能となっている。留年する学生が多発するのも、履修制度における問題点が原因なのかもしれない。それを無理やり2年で修了しようとすると、かなりのプレッシャーとなって返ってくるのだ。

武蔵野での闘いでは体重は減らなかったが、「頭髪」に取り返しのつかない大きなダメージを喰らってしまったのだった!(笑)

とはいえ、自分の学習スタイルに大きなムリ・ムダ・ムラがあるのも事実。産能通教で学んだ「サンム(=三ム)を撲滅する」という基本がなっちゃいない。このような荒っぽい学びでも、修士を取得することはできるのだが、できれば、安全に学位を取得してほしいと願っている。体を壊してまで、学び続けることは本末転倒なのだから。

このような無茶な学習は、燃え尽き症候群を生みやすい。それが今の私の現状なのだろう。だから、今はリハビリ期といえるのかもしれない。うつ病への対処と同様、今は学びから距離を置き、ゴロゴロしているのが、最大の薬なのだろう。
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イベント!

2012年02月26日 09時41分15秒 | 産業能率大学
Oゼミ主催のイベントに参加させていただき、本当に感謝しております。

さて、イベントの後はお決まりの飲み会!自由が丘キャンパスなのに、自由が丘まで約20分かけて歩いて行きました!約20分って、中央特快で国分寺から新宿まで行けてしまう時間・・・でも、自由が丘キャンパスなのです(笑)

1次会だけでなく、2次会まで参加したのですが、家に帰ると12時を過ぎていました。やはり、小平と自由が丘は遠く離れた異郷の地ということでしょうか。

私が常々言っている「学住隣接」という言葉。すなわち、大学と自宅は近いほうが良いというのは、このようなケースでも当てはまるといえるでしょう。時間を気にしなえればならないくらい、大学と自宅が離れていると、色々と弊害が生じるわけです。

明星では指導教官に夜11時くらいまで指導を受けていました。自宅と大学が近かったおかげです。無論、遠隔地の不利益も自身の向学心でリカバーできないわけではないのですが、やはり、指導教官に「彼を誘いたいが、家が遠いから大変だろう・・・」と思わせてしまうこと自体、私は残念でならないのです。

余計な心理的負担を指導教官にかけたくない。そんなちっぽけなこだわりなのですが、やはり私の学びの基本となっています。とはいえ、こんなことを生涯続けているといずれ破綻するだろうから、更正しなければならないビリーフなのかもしれません。

まあ、何はともあれ、自由が丘という思い出の地で、久々に美酒が飲めたのはうれしいことです。また、イベントがあったら誘ってほしいと願っております。
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5階からの風景

2012年02月26日 09時14分51秒 | 産業能率大学
自由が丘キャンパス5Fからの風景。

「自由が丘」とついているが、住所は「等々力」。「伊勢原」なのに、「湘南」キャンパスと呼んでいるのと同じ理屈なのでしょう。

とはいえ、この風景は、学生時代から好きでした。
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ポスト!

2012年02月26日 08時51分37秒 | 産業能率大学
郵便で送らなくても、このポストに入れれば教務係とのやりとりが可能です。

その昔は、科目履修生の入学願書も放り込んだような記憶が・・・いや、入学説明会で、その場で提出したんだっけ?なんせ、昔のことでよく覚えていないが、結構、このポストのお世話になった方は多いはずです。
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建学の精神。

2012年02月26日 08時48分44秒 | 産業能率大学
建学の精神。

暗唱できるはずなのだが、やはり、飲み会で、大酒を喰らってからだと、まったく暗唱できなかった・・・暗唱するときは、酒を飲む前でないと、恥をかいてしまうのだ。。。
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自由が丘キャンパス7号館!

2012年02月26日 08時39分16秒 | 産業能率大学
産能通教時代のホームグランドともいえる7号館。

SCや科目修得試験のために、何度、この7号館を訪れたことだろう。小平に転居してしまったために、なかなかこの聖地を訪れれることはできないのだが、やはり、年に何度かは訪れないといけないな・・・
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自由が丘キャンパスへ!

2012年02月26日 07時44分21秒 | 産業能率大学
久しぶりに自由が丘キャンパスへと行くこととなった。

理由はOゼミのイベントに参加するため。正直、産業率大学の通信教育課程との三重学籍が完成した際、Oゼミに入ろうと思っていたのだ。それが、あっけなく潰えてしまったのだが、ありがたいことに、親友の配慮により、イベント参加が許可されたのだった。

産能のこういうところ、大好きです(笑)

接客業をしているとよくわかる。一人の粗雑な対応がお客さまを不愉快な気持ちにすこともあれば、一人の真摯な対応がお客さまの感動を与えることもあるのだ。だから、組織が大きくなればなるほど、能力(というかホスピタリティって言っていいのか)の低い職員を雇用するリスクが高くなってゆく。なんせ、目が行き届かなくなるから。人数が多くなることで、能力がなくても、周囲の大勢の影に隠れて生きる「フリーライダー」が発生する。

たしか、中国の歴史書にも、これと同じ事例が書かれていた。たしか、多くの楽団員の中に、演奏の能力がないものがまぎれていて安穏としていたが、一人ひとりの演奏力を試すことで、その「タダ乗り無能力者」が逃げ出したって感じの小話だったように記憶している。

さて、国分寺から自由が丘キャンパスに行くには行くとおりものルートがあるのだが、私は国分寺→(中央線)→新宿→(山手線)→目黒→(バス)→等々力7丁目のルートで行くことが多い。

バスに乗っていると、昔、住んでいた近辺を通過する。画像は目黒郵便局なのだが、大学評価・学位授与機構のレポートをよく出しに来たものだ。提出期限まで、残すところあと数時間ってのもあったような気がする。

ああ懐かしい!で、昔の社宅は取り壊され、バスの車窓から新しいマンションが確認できた。そう、未来永劫の残り続けるものなどないのだから、仕方がないのだ。
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