機構に「新しい学士への途」を請求し、本日テレメールで発送されたとの通知があった。
既に告知しているとおり、これから2年間は機構の学士を狙うことはできない。まあ、密かに受験すればバレないのかもしれないが、これだけ、大々的に告知したら、もう、そんな反則技を使うことはできなくなる(笑)。
やはり、ネットに記載した内容から、現役の大学生のため、受験資格がないことが機構サイドに見つかってしまい、不合格になってしまった事例を聞いたことがあるような、ないような・・・
まあ、これだけ、おおっぴらにブログに載せている以上、ルール違反をするつもりはまったくない。放送大学との二重学籍をシークレットにすれば、「完全犯罪」も成立するのかもしれないが、表に出せない「後ろめたい学歴」を積み上げても、全然うれしくない。というか、それ以前に、ルール違反してまで機構の学士とは取得する価値があるのだろうか?知らぬがゆえにルールを逸脱してしまうのは人間だからやむを得ない。それを知った段階で更生すればいい。しかし、機構の学士については、明白に大学在学者は不可となっているのだから、そのルールが、たとえ納得できるものではなくても、現状は従わざるを得ない。
その点も、放送大学大学院で詰めていきたいと思っているのだが。
さて、無論、機構の学士を研究するため、最新版の「新しい学士への途」ぐらい手元においておくべきと思っているのだが、それ以上に、受験料の改正があるのか、ないのか、それを知りたいと思っている。
事業仕分けで叩かれ、受験者にもアンケートをとって、受験料アップのための下地は整っている。いったい、どのタイミングで、どれだけ値上げをしてくるのか・・・ヘビーユーザーとしては、非常に気になるところである。無論、1万円ぐらいあがってもいいから、ちゃんと、単位の仕分けとか対応してくれれば文句はないのだが・・・
生涯学習に対応した学位取得スキームを構築すれば、十分ペイする事業なのだが、ユーザーにとって優しくない、わかりづらい制度が難点である。でも、制度が複雑だからこそ、まつもと先生の著書が売れるやもしれないのだが。
考えても見てほしい。「新しい学士への途」という名の申請案内が120ページを超過し、それに対して、解説本が何冊も出版されるなんて、奇妙奇天烈といわずして、何と言えばいいのだろう?制度の方向感は正しいにもかかわらず、それがアカデミックな域を超越しえないことが、残念かつユーザーに支持されない結果を生んでいるといえよう。
既に告知しているとおり、これから2年間は機構の学士を狙うことはできない。まあ、密かに受験すればバレないのかもしれないが、これだけ、大々的に告知したら、もう、そんな反則技を使うことはできなくなる(笑)。
やはり、ネットに記載した内容から、現役の大学生のため、受験資格がないことが機構サイドに見つかってしまい、不合格になってしまった事例を聞いたことがあるような、ないような・・・
まあ、これだけ、おおっぴらにブログに載せている以上、ルール違反をするつもりはまったくない。放送大学との二重学籍をシークレットにすれば、「完全犯罪」も成立するのかもしれないが、表に出せない「後ろめたい学歴」を積み上げても、全然うれしくない。というか、それ以前に、ルール違反してまで機構の学士とは取得する価値があるのだろうか?知らぬがゆえにルールを逸脱してしまうのは人間だからやむを得ない。それを知った段階で更生すればいい。しかし、機構の学士については、明白に大学在学者は不可となっているのだから、そのルールが、たとえ納得できるものではなくても、現状は従わざるを得ない。
その点も、放送大学大学院で詰めていきたいと思っているのだが。
さて、無論、機構の学士を研究するため、最新版の「新しい学士への途」ぐらい手元においておくべきと思っているのだが、それ以上に、受験料の改正があるのか、ないのか、それを知りたいと思っている。
事業仕分けで叩かれ、受験者にもアンケートをとって、受験料アップのための下地は整っている。いったい、どのタイミングで、どれだけ値上げをしてくるのか・・・ヘビーユーザーとしては、非常に気になるところである。無論、1万円ぐらいあがってもいいから、ちゃんと、単位の仕分けとか対応してくれれば文句はないのだが・・・
生涯学習に対応した学位取得スキームを構築すれば、十分ペイする事業なのだが、ユーザーにとって優しくない、わかりづらい制度が難点である。でも、制度が複雑だからこそ、まつもと先生の著書が売れるやもしれないのだが。
考えても見てほしい。「新しい学士への途」という名の申請案内が120ページを超過し、それに対して、解説本が何冊も出版されるなんて、奇妙奇天烈といわずして、何と言えばいいのだろう?制度の方向感は正しいにもかかわらず、それがアカデミックな域を超越しえないことが、残念かつユーザーに支持されない結果を生んでいるといえよう。