社会人となったのち、私が初めて学生となったのが産能大学。
色々大学があったものの、やはり、20歳ごろ、通学制の大学とともに、科目履修生として産業能率短期大学の学生をやっていたことが、産能大学を選んだ大きな理由の一つ。ちなみに、産業能率短期大学の学生になった理由は、税理士の受験科目が授業科目として開設されていたこと。つまり、「資格」から派生して「大学」で学ぶという結果となったといえます。
通学制の大学生をやっていたとき、自由国民社の「国家試験資格試験全書」という本を愛読していました。この本をご存知の方なら、カラーのページに通信制大学の広告が掲載されていたことを覚えておられることでしょう。ゆえに、産業能率短期大学。わざわざ、電話をして「短大生になれますか?」と確認して「二重学籍となるため不可です。でも科目履修生なら大丈夫です。」との回答があり、科目履修生をスタートしました。しかし挫折し、単位習得までいたりませんでした。1単位でも修得していえば、データとして残るそうですが、0単位となってしまったため、私の学籍は抹消されていることを産能生となってから教えていただきました。
結局、その私が産能大学に入学し、卒業するために必要な単位は124単位にもかかわらず、200単位を揃えて卒業するのですから驚きですね。
14年ほど前、社会人大学生になることを決めたときは、やはり、それなりに悩んだようで・・・入学説明会にも参加し、卒業の青写真がイメージできたので入学を決断しました。イメージを大幅に上回る勢いで卒業が確定してしまったのが印象的です。そう、入学さえしてしまえば、自動的かつ強制的に学習はスタートしてしまいます。まじめに課題をこなし、指示通りにテキストや参考文献を読んでいれば、「可」ぐらいはとれるはず。それ以上の学びや経験等で評価のランクアップをもくろみます。そうこうしていると、勝手に単位が貯まって、徐々に卒業に近づいていきます。そして、気が付いたら卒業が確定しているわけで。
私の場合、任意の「卒業研究」や「ゼミ」あるいは「放送大学との単位互換制度による特別聴講生」も貪欲にやったことで、大学院への途、あるいはライフワークとしての放送大学の活用へとつながりました。
第一歩を踏み出すことで、二歩、三歩・・・と次から次へとつながっていき、現在に至っております。本当、些細な第一歩。しかし、それが人生の大きなターニングポイント。それはやったことのある人にしか実感できない世界。そして、それを経験した人は結構実在するわけです。
今年もまだ始まったばかり。半世紀生きてきた親父の戯言ですが、わかる人にはきっとわかっていただけるし、これからわかる人もおられるはずですから、文字にして残しておきます。