鶴舞中央図書館に掲示されていた「名古屋っ子読書カード2017」の文章。
「正解はひとつじゃない」ってところがポイント。すべてにおいて、己の人生は己の支配下にあり、他者が人生をどうこう言うことはできない。ゆえに、私の選択も正解だし、あなたの選択も正解なのである。
基本的に、すべての人間は、その選択の瞬間において、もっとも正解と思われるシナリオを選択する。ゆえに、すべて正解。にもかかわらず、その結果を知るや、「自分の選択は間違っていた・・・」と不正解の烙印を押してしまうのだ。
自分の余暇を、どのように使おうとすべて正解。因果応報。ゆえに、選択した結果は自分へと跳ね返ってくる。大学へ行こうが、ゴルフの練習をしようが、家族旅行で楽しもうが、麻雀三昧、パチンコで時間を潰そうが、、、なんであれ、自分で選択したのだから、それは正解であるし、他者の生き様として尊重しなければならない。
しかし、もし、本を読むことができるのなら、そこから多くのことを学ぶはず。なんせ、本は、先人が命を削って書き記したものなのだから。著者が何年もかかって作り上げた成果物を、わずかな時間で自分のものにできるのである。そうして、吸収した叡智が、後の自分の行動を大きく左右するのだ。本に書かれた「失敗の事例」であれ、「成功の事例」であれ、「導かれた真実」であれ、「想像の虚構」であれ、自分が今まで知らなかったことを、知らしめてくれるものは、何らかの良い影響を与えてくれるものだ。
それが蓄積すると、結果を見て「あぁ、あの時、別の選択をしておけばよかった・・・」と後悔することが少なくなってくる。それが読書の効用と私は思っている。
人間、生きている時間は短い。自分だけで世界を知り尽くそうとしても限界がある。だから、他人の人生を盗む。それが本である。人類の豊かさは、本により、蓄積された先人のノウハウを盗用していることで成り立っている。そう、本を読まないことには始まらないのだ。だから、私は、本を読む。できる限り、妥当な人生の選択ができるように。