生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

一橋学園駅前。

2021年11月20日 18時29分23秒 | 小平
最寄駅の一橋学園駅前のイルミネーション。



この椅子に座ることは、結構、勇気が必要と思うのですが・・・


そして、ここは放送大学多摩学習センター、そして機構に至る正面の道路。


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昨日の月

2021年11月20日 18時20分58秒 | 小平
昨日は部分月食。

月の最大 97.8%が影になるとのこと。そんな空を見上げると・・・


もう、月食は終わっていました。。。
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誕生日のケーキは・・・

2021年11月20日 18時12分53秒 | その他
2日前に54歳になったのだが、ケーキは自分で買って帰ることに。

デコレーションケーキなんて食べたいと思う年齢ではないので、家族がそれぞれ好きそうなケーキを。



ロウソクもハッピーバースデーの歌もなかったですが、まあ、54歳ということで。

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文書交通通信滞在費で・・・

2021年11月20日 09時46分37秒 | その他
また、つまらないことで揉めている・・・

衆院選の新人当選者が1日国会議員だったということで100万円支給される「文書通信滞在費」が常識外れだということで、国会議員が自主返納させられるという事態。そんなことやっている時間があるなら、もっと重要な仕事をしてくれ!って思うのは私だけだろうか?

小室さん、眞子さまの時も同様、かえすがえす言うのだが、これは国会法で定められた法例に準拠されて支給されている公費。なぜ、法律に定められているものを返納したり、辞退したり、寄付したりせねばならないのか?国会議員だって、収入がなければ生きていけない。なんでもかんでも世論の圧力で返納させると、逆に、よからぬ不正に手を染めて、もっと大きな不利益を日本国に与えかねない。

これから、法律を改正して日割り計算にするならそれでいいじゃないか。なぜ、今、法律に定められている規定を、ゴリ押しで曲げようとするのか。悪法も法、今、現在、それが現行法なら、それを守るようにするのが国民の良識であろう。こんな無法国家が常識になると、「有罪判決が出た以上、懲役1年で放免はおかしい。30年は牢屋に繋げ」ってことにもなりかねない。1日でももらえる法律が今存在するなら、勝手に30日じゃないと満額にしないと読み替えるのは曲解である。

そもそも、何の費用なのか?日割りが妥当なものなのか?「文書通信滞在費」って、私も十分認知していないが、言葉どおりなら「国会議員になりました!」って有権者に通信するのも認められそうなので、なら、当選した日に一番必要になる費用じゃないのか。あるいは、当選したことを知らせる通信費用も、当然10月31日が一番かかるだろう。滞在費も、当選したら国会議事堂に行かねばならないわけで、予約するなら10月31日に払うこともあるだろう。

「国会議員になると、なんやかんや必要経費が掛かるけど、月100万円でやってね!」っていうのが趣旨なら、そのルールでいいだろう。新人議員はダメで、現職の議員は衆議院が解散されてももらえているわけだし。いったん落選した元職はどうするのか?

掛かった費用を払うって案もでているけど、なら、月100万円を超えた分も負担するのが当然。「民間と同様」っていうなら、国会議員の活動に対して全額負担するのが筋だけど、それでなくても、党から支援が出て補填しているものを、全部、税金で負担するのか?上限100万円って縛っているのは、ある意味、税負担が無制限にならないための安全弁なのだから、新人議員のみ日割り対応といった些末な費用に目くじらを立てるより、それに見合う活動をしてもらう方がいいし、むしろ、国会議員の人数を減らしてもらいたい。きっと、こんなに大騒ぎした新人議員の日割り金額より、国会議員1人、2人削減した方が歳出削減になるはずだろうに・・・というか、国民の皆さん、あのマスクの保管費を削減した方が、コストカットになるのを忘れていませんか。些末な新人の必要経費を叩いている間に、マスクのことをすっかり忘れるのが日本人なんだろうな、、、、
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地震!

2021年11月20日 08時58分49秒 | その他
記事を送信した瞬間、地震で家が揺れました!

まず守るのはテレビ。そして、毎日曜のよう花をつけるハイビスカス。テレビでも「多摩東部震度3」と出ました。



それにしても、ハイビスカス、シーズンが終わるということで、1,980円だったハイビスカスが500円と処分価格で販売されていました。高麗神社に向かう道すがら、所沢市で偶然見つけた「杉山園」という花屋さんで3,000円ほど購入した中の1つ。ビオラ、カランコエ、葉牡丹等々、小さな花を中心に買ったのですが、何故か、その在庫処分となっていたハイビスカスが気になって仕方がない。

昔、飼っていたピーちゃんもそうですが、どうしても、シーズンを終えたものや、難がある生き物を見てしまうと、その縁に因果を感じてしまう上、更に、そこで私が手に取らないと、処分価格の商品は、最悪「処分」されてしまうのではないか・・・と、恐怖心に苛まれてしまうわけです。もし、足の指が曲がってしまい、商品として売れなくなったピーちゃんを私が購入しなかったとしたら、どうなっていたことでしょう。

そして、私が地震の間、倒れないように必死で支え続けたハイビスカス。家の中で暖めてあげたところ、花を咲かすようになりました。知らなかったのですが、ハイビスカスの花は朝に咲いて、夜には萎んでしまいます。そう、各つぼみが花としてまみえるのは、まさに一期一会。潔すぎます。そして、萎んだ花は、気が付くと、「ポトン」と床に散りゆきます。更に、花を咲かせた萼 (ガク)の部分も、床に落ちてしまいます。

まだ、大小合わせて10以上つぼみがあるので、今回の地震で鉢が倒れて、ハイビスカスが台無しにならなくてよかったです。
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引き続き年金の話を・・・

2021年11月20日 08時42分20秒 | その他
老後の生活について、現実的なところを考えてみると・・・

65歳まで待てば、一応、非正規雇用の方が働く年収と同じくらい年金が支給されます。なら、当然、生きていけるのではないかと想定します。我々、銀行の職場でも、色々とライフプランを試算するのですが、その際、家族1名にかかる必要経費よりも多いので現実的な金額といえます。

この年金を60歳で受給すると30%ダウンでの支給となります。繰上受給すると1月あたり0.5%のダウンとなって、5年×12ヵ月×0.5%=30%ダウンとなります。一方で、70歳まで待って繰下受給すると、5年間遅らせることで年間100万円ほど支給額がアップします。

まあ、54歳になったばかりなので、まだ時間があるといえばあるのですが、いずれ何歳で年金を頂くかを決断しなければなりません。無論、それまでに死んでしまえばオシマイなのですが。

仏教的な考えからすれば、「未来のことで悩むな」というのが鉄則。今の生活をどれだけよりよく生きるのかを考えるべきなのですが、あまりに考えなかったあまり、老後、糞掃衣を着て、乞食を求め、托鉢をするような「ガチの仏教生活」をするのはムリですから。

60歳~70歳と受給のタイミングを選択することができるのですが、やはり、仏教徒なら「中道」を選択して65歳が適切なのでしょうか?
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日本年金機構から

2021年11月20日 08時11分06秒 | ちょっと立ち止まって・・・
日本年金機構から「ねんきん定期便」が届きました。

元々は、名古屋宅宛に郵送されたものが転送となったもの。転送期間は2022年10月11日までですが、年金機構には職場から転居が報告されるものと思っています。名古屋に転居する際、私個人として年金の手続きはしてませんから。

開封してみると、これまで年金に加入していたのは376月。払い込んだ金額を見てみると、千万単位の金額が書かれています。その金額を見るに「あぁ、こんなに払っていたわけね・・・」と思ってしまいます。

まあ、それだけ払ったからなのか、65歳から年金受給すると、非正規雇用の方の平均年収を超える金額が年金として支払われます。なら、年金だけで生活できるのかな~と、漠然と思ってしまいます。社会貢献って面もありますが、年金で生きていけることが保証されるなら、わざわざ、仕事をする必要はありません。生活に対する漠然とした不安から老後を心配し、いつまでたっても仕事から解放されなくなります。「シルバー世代の生きがい」にもかかわってきますが、今のように労働力が足りないと言われている場合ならいいですが、失業率が跳ね上がった時代が来たなら、年金で生活できる人はリタイヤして、仕事のない若い世代に職場を譲らなければならないのでは・・・とも思ってしまいます。

特に認知機能が低下して「老害」と言われる人は、現在の地位に執着することは社会的にも大きな損失を生むのではと感じます。会社の社長が過去の成功例に縛られて今の時流を読めず会社を潰すケース、今回のコロナ大流行の際に政治家が政策を誤ったケース、車に乗り続けて多くの人を跳ね飛ばし死傷者を出すケース等々、それなりの年齢になったら、色々な執着を手放し、死への準備をせねばなりません。いつ死んでも周囲が困らないくらいの立ち位置。そう、周囲の人々が「老害」と呼ばず、「好々爺」って呼んでくれるくらいが一番いいのかもしれません。
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