気がついたら、武蔵野大学大学院の第1回インターネット出願が終わっていました。
それどころか、第2回インターネット出願の受付が、既にスタートしております。本当、出願される方々の学修意欲の深さに驚かされる次第。私のように中途半端な理由ではなく、皆さん、「××について学びたい!」とか「○○を究めたい!」って意欲に溢れているのでしょうね。
真宗門徒の考え方として、「南無阿弥陀仏と念仏を唱えるのは自分が唱えたいからではなく、阿弥陀如来の呼びかけに気がつき、唱えなくてはならない気持ちから南無阿弥陀仏と念じる」というものがあります。その考え方からすると、大学院に出願された方は、「大学院に行くんだ!」という、何かしら、スピリチュアル的な呼びかけ・・・いや、心の声に気いたってことなのかもしれません。
以前も書いたのですが、大学院進学には「適齢期」ってものがあると思っています。今まで、全く関心がなかったのに、新聞や電車の「大学院に関する広告」が目に入ってくるとか、意識してしまうとか。何故か、行くつもりもないはずなのに、ネットで検索してしまうとか。そこまで来ると、かなり出願は近いかも。
ただ、そこに立ちはだかるのが「研究計画書」。まあ、これが大学院出願のイニシエーションというか、通過儀礼だから仕方がありません。一人前の院生になれるか、それともなれないかの関門。逆の立場からすると、先生方にとって、あなたはなんとかなるか、それともなんとかできないかを審判する拠り所。
なんとか全員合格させてあげたいけど、入試は競争だし、全くもって無理な人を背伸びして合格させても、お互い不幸になりますから。
でも、それを審判してもらうためにも、意欲があるなら出願して欲しいと願っております。