干柿が好きな私。
秋口から今日までいくつ食べてきただろう。その私が干柿で怒っている。この時期、干柿といえば「名古屋市・河村たかし市長 高級干し柿“ガブリ”」のニュースだろう。
「堂上蜂屋柿」と言われる岐阜県美濃加茂市特産の高級干柿。
私も、単身赴任が終わってから、あまりに未練が残ったので、おととしの12月に購入しました。
それがこちらの堂上蜂谷柿。
この干柿は食べ方がある。通常は、へたを取って縦に8等分して裂いて食べるとされる。とはいえ、これは「おすすめの食べ方」であり、絶対的な食べ方ではない。こちらの説明では8等分ではなく2等分だし、こちらでは少しずつ裂いてということで8等分にこだわらない。好き勝手に食べている。まず、叩くならこのHPを叩くべきだろう。
そもそも、堂上蜂谷柿を販売している「JAめぐみの」のHPに出ている生産者からのお知らせには、「歴史を紡ぐ「堂上蜂屋柿」精魂込めて育てた柿を味わって」とあり、「大切な方への贈り物として、または大変な一年を過ごしてきたご自分へのご褒美として食べてみてはいかがでしょうか。」と丁寧に書かれているが、食べ方については書かれていない。そんなに食べ方が重要なら、いの一番に書いておかねばなるまい。あるいは、ネットを調べると、岐阜県民ですら、堂上蜂谷柿の正しい食べ方を知らなかったとの声も出てくる。河村市長が、一般の干柿同様に、丸かじっても致し方なかろう。
私は河村市長が好きではないが憎めない。お調子者なんだろうな~と(笑)。なんだか自分に似ている気がする。そして、羽目を外して叱られる。私とそっくりだ。
だが、今回の非難は、どう見ても生産者の傲慢だ。ご褒美として食べていいものに対し、多くの人々が精通していない食べ方を強いることが正義なのか。確かに、堂上蜂谷柿を購入すると、おすすめの食べ方が記されたものが同封されていたと思うが、河村市長がそれを読んでいるとは思えない。なんだか、浅野内匠頭が吉良上野介にだまし討ちにあったがごとく。知らなかったのだから仕方がないし、もらった干柿をどのように食べてもいいだろう。それでなくても、河村市長は堂上蜂谷柿をPRしてくれているのに、恩をあだで返す生産者は、傲慢以外の何者でもなかろう。
手塩にかけてつくった干柿が金メダルっていうのなら、食べずに飾っておけばいい。食べられてこその干柿だろう。
それに、食べ方にこだわっていたなら、「ひつまぶし」なんて生まれなかっただろう。固定概念にこだわっていたなら手羽先も生まれなかった。味噌カツもしかり。賄いから生まれた「天むす」や「台湾ラーメン」も、どう考えても正しい食べ方から逸脱している。岐阜には干柿の中に栗きんとんを入れる和菓子もある。干柿も、まさかこんな風に生まれ変わるとは思いもよらなかっただろう。
生産者の方々が「おすすめ」や「ご推奨」の食べ方を提案するのは構わない。ただし、それ以外の食べ方を非難することは決して許されない。今回は、特に、落ち目の河村市長を叩いておけばいいだろうという風に見えるからやりきれない。
一時的に、炎上商法で堂上蜂谷柿はブームになるかもしれない。しかし、意図してか、意図せざるをは不明だが、真っ当でない手法を取ってしまったことは、堂上蜂谷柿のイメージを損ない、少なくとも、私は二度と食べたくないと憤慨している。