京都東山山麓にある「京都住蓮山安楽寺」!
法然院のすぐ横にあるので、法然院の後に訪れました!
小さな茅葺の山門を入って本堂に入ると安楽、住蓮上人、松虫、鈴虫姫の像などが安置されており、お寺の
説明に聞き入りました!(春、秋などに公開)
なお、以前ですが、雨上がりの翌朝に訪れると山門は、紅葉の葉が一面に敷き詰められためられたような
光景に出会えます!
*鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えられた。1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後法然上人が草庵は久しく荒廃することとなりましたが、流刑罪から帰京された法然上人が両上人の菩提を弔うために草庵を復興することを命じられて「住蓮山安楽路」と名を漬けられ、、その後、天文年間(1532~55)に現在地に本堂が再建され、今日に至っているとあります!
法然院のすぐ横にあるので、法然院の後に訪れました!
小さな茅葺の山門を入って本堂に入ると安楽、住蓮上人、松虫、鈴虫姫の像などが安置されており、お寺の
説明に聞き入りました!(春、秋などに公開)
なお、以前ですが、雨上がりの翌朝に訪れると山門は、紅葉の葉が一面に敷き詰められためられたような
光景に出会えます!
*鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えられた。1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後法然上人が草庵は久しく荒廃することとなりましたが、流刑罪から帰京された法然上人が両上人の菩提を弔うために草庵を復興することを命じられて「住蓮山安楽路」と名を漬けられ、、その後、天文年間(1532~55)に現在地に本堂が再建され、今日に至っているとあります!
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