昭和45年3月!
釧網線で北浜から釧路へ夜に到着した後、改札を出て釧路の街を散策する。夕食はせっかく釧路に来たのだから駅前の飲食店に入り、
「いくら、さけ、雲丹」の入った豪華な海鮮丼を賞味した後に街路へ出たが未だ3月で寒々としていたので早々に駅に戻り待合室でくつろぐ。
待合室で駅のアナウンスや列車の汽笛、待合客の地元の訛りある話声などを聴きながら北辺の駅の雰囲気を味うのは旅行の醍醐味であろう。
今夜乗車する列車は夜行急行狩勝3号(418レ)で寝台車6両、座席指定3両に郵便車、荷物車各1両の11両編成の豪華編成であり、
時刻表には寝台列車と記載されている。今回はこの頃の小生としては奮発してみどりの窓口で寝台券を指定して優雅な寝台の旅とする。
列車は釧路駅を21時25分に発車するので少し前に改札口に向かい寝台車スハフ17の上段にリユック、三脚を乗せたのちタラップをよじ上り
ベッドに身体を潜り込ませる。
(昭和43年10月時刻表より転載)
やがて定刻に発車して間もなく車内アナウンスがあり停車駅は、池田、帯広、新得、落合、富良野、芦別、赤平、滝川、砂川、美唄、岩見沢、江別、
終点札幌6時30分到着との紹介があったが、停車駅の印象は、やはり当時は石炭産業が盛んであったので炭坑で栄えた駅に多く停車するといった
感じがした。その後にカレチ氏が車内検札に来て下車駅などの確認が行われた。(小生は美唄下車)
急行狩勝の前進は急行まりもであって当時はC57が小樽ー釧路をロングランして旧狩勝越えには後補機がついていたようだが、昭和43年10月から
今の急行狩勝に名称変更があり、狩勝峠も新線に切り替えられており今日の急行狩勝はDD51が釧路から滝川まで牽引し滝川でED76に交代する。ーーー
翌朝、ベッドで寝ているとカレチ氏がまもなく下車駅「美唄」に到着するので下車準備をするようにと親切に声をかけていただいた。
8:30に美唄駅に到着して早速、美唄鉄道へ乗り換えを行う!
美唄鉄道は三菱美唄炭坑の運炭列車として動輪が5つの4110タンク式機関車が活躍していました。
この4110型は国鉄奥羽本線の板谷峠で活躍していた形式で勾配区間専用として使用されていました。
美唄鉄道では4122の他、自社発注した2、4、5号機などが常盤台(山元)から美唄駅まで約10kmをピストン輸送していた。
美唄鉄道に乗って東明駅で下車して2号機関車が牽引する貨物列車を撮影する。
なお、美唄鉄道は1972年に廃止されたがこの2号機は現在東明駅近くで展示されているようである。
東明駅近くの踏切から撮影 蔵の中の4号機
機関区で待機中の2号機関車 2号機関車のサイドビユー
美唄鉄道に別れを告げて札幌駅に向かう!
以下 次の続く!
今から40年強前、鉄道の情景もだいぶ違っていたのですね。楽しく拝見致しました。
今ではスマートな特急列車が頻繁に行き来する滝川駅で機関車の付け替えがされていたとは… 時代の流れを感じるばかりです。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
40年前も今も鉄道旅行は楽しいですね!機関車、客車、電車、気動車の種類は変わっても、その時々の思い出を生み出してくれます。新旧の鉄道をご紹介したいと思いますので、今後とも宜しくお願いします。