☆★1997年の日記から・・・★☆
8年前の日記を見ながら、
当時の日記を綴っていこうと思います。
今日の日記は、昨日(10日)の続きです
【1997年4月26日・土】
昨日「乳癌」の告知をされ、あまり眠れなかった。
何故私が「癌」になったのだろう・・・と、
何が原因だったのかしら・・・と、
悩んでも仕方ないことで一日中苦しんだ。
まわりの人たちが、涙ぐんで心配してくれる。
その度に、私も涙がでた。
家族で話し合って、H病院で手術をすることに決定。
その旨を、○○乳腺外科クリニックに連絡した。
「紹介状を書いておきますから、都合のよいとき取にきてください」 と。
食欲もないまま一日が過ぎた。
夜、喘息の発作がでた。
【1997年4月27日・日】
今日は日曜日。
もうすぐ入院だと思うと、
何か片付けていかなければ・・・という気持ちはあるのに、
なかなか・・・。
朝9時にMさんからお花が届いた。
『少しでも和やかな気持ちで過ごせますように・・・』
というメッセージがついていた。
すごくすごく嬉しくて、涙がとまらなかった。
Mさん、ありがとう!
【1997年4月28日・月】
今日はH病院の受診日。
朝から雨・・・。
いろいろな思いで乱れている心を落ち着かせながら、
近くのクリニックと、○○乳腺外科クリニックと、兄の紹介状をもって、
受付時間の11時ぎりぎりに、
H病院にタクシーでかけつけた。
患者さんがとっても多く、
診察が始まったのは14時、終わったのは15時過ぎ・・・。
H病院で、またマンモグラフィとエコーの検査をした。
エコーの時、穿刺細胞診をされた。
担当のH先生から、
「おそらくおとなしい癌だと思います。」
「一週間くらい細胞の結果がでるまで待って、
それから入院と手術のことは考えましょう・・・」 と、説明があった。
5月の連休があるため、
12日に細胞診の検査結果を聞きに行くことになった。
夜、Sさんがケーキとお守りを持ってきてくださった。
ありがとう!
「乳癌」の告知をうけて3日目・・・。
すでに癌と闘っていく気力を失いかけている自分がこわい。
病院で長く待たされたり、
いろいろ痛い検査をしたり、費用もかかる。
癌って、どっちみち長くは生きれないのだから、
死にたいな・・・・・と考えたり・・・
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当時私は、「癌=死」 と考えていました。
まわりの人の慰めも、
何故か私にとっては慰めになりませんでした。
その上1990年から10年位、喘息で苦しみ、
壮絶な人生を歩んでいる私・・・
この8年の間に「肺癌」も患いましたが、
今、私は生きています
現在「癌」で苦しんでいる方も、
きちんと定期的に病院で検査をして早く治療をすれば、
「癌」は治ると思います
希望をもって頑張ってくださいね