マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

渡辺町

2009年04月09日 | 喜働

大阪には 『渡辺町』 という所があります。

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いや、正格に言えば 「ありました」。

渡辺姓の総本家(?)と言われる 『渡辺町』 の名称が 消えそうになったのは、昭和の終わり頃でした。

理由は、『渡辺町』 は 行政区の単位として 『町』 とするには あまりにも小さく狭い範囲だったから。 だそうです。 町は 神社(坐摩神社)だけで構成されていたので、行政的には煩雑だったのでしょうか。 坐摩神社は、渡辺家のルーツにあたります。

そのときに、全国の渡辺姓の人たちが反対しました。 ということを私が知ったのは 当該反対運動の かなり後のことでした。 週刊誌で読んで、渡辺町の存在を認知した程度の知識でしたから。

結果として、町名としては消えましたが、番地に名称を残しています。 全国でも珍しい番地名になっているのです。

以前は、『大阪市 渡辺町』 でした。

今の住所は こうなっています。

『大阪市 中央区 久太郎町4丁目 渡辺』 です。 久太郎町4丁目には、1番地・2番地・3番地があります。 そして、その次に 『渡辺』 が番地として続くのです。

渡辺姓の皆さんの反対により、町名からは消えましたが、番地として残りました。 それで、数値ではなく固有名詞が番地になるという珍しいケースになっています。

あらゆる渡辺家は 『渡辺綱』 に繋がるそうです。 うちの家系図は戦災で燃えてしまいましたが、やはり そうだったとか。

ふとした事から 渡辺町を思い出して、ルーツに思いを巡らせました。

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