O峯校長の『学校だより黒崎』から抜粋して。
…私はこの時期の生徒たちとともに学校生活を送り、これまで長いこと教育活動に
携わってきたのですが、たとえば「学力の向上」「体力の向上」「心の育ち」など、
考え出すと気が滅入ってしまうほど、解決しなければならない課題は沢山ありました。
(これからも…、きっと教育現場はそうだと思います)
そのような中で、私(私たち)が中学校の教員としてこれまで苦労し、悩み
ながら重ねてきた努力とはいったい何だったのだろうと、今、自問自答しています。
人間という生き物は、生まれてきた時から言葉を使ったり、自由に動き回ったり
することはできません。15~20年間という長い時間をかけ、周囲から「教育」を
受けることによって、大人としての生活を始めることができる…
そして、その教育を受けるべき最終段階が中学生時代…、義務教育最後の三年間です。
自分自身の力で進路を切り開き、次のステージに進んでいかなければならない、そういう
岐路に立たされる時期なのです…。
そういう、人生最初の峠に差しかかっている若者たちに、常に求めていたこととは
いったい何だったのか。
その答えを、今、このように思っています。
それは、生徒たちの「粘り強さ」や「自制心」「好奇心」「やり抜く力」「協調性」
などのような「非認知スキル」を伸ばすことであったと…。
私たち教員は、生徒たちに『どんなにつらいことがあってもへこたれないでほしい。
苦しくても自暴自棄にならず、目標を見失うことなく頑張り抜いてほしい。広く世界中で
起こっていることに目を向け、いろいろなことに興味を持ってほしい。人はみな違うのだと
いうことをわかり、相互を尊重する心を持ってほしい。周囲の人たちと協力して、何か新しく
すばらしい価値のあるものを創造してほしい。』などと願い続け、時には厳しく、時には
優しく、生徒たちに接してきた。必死の思いでそう願い続けてきたのではないか…そう思う
のです。これらはすべて、非認知スキルの育成を目指して取り組んできたことだと
言えるのです。
そして、そういったものの延長線上に、結果として「学力」「体力」という数値評価可能な
能力があるのだと、今はそう考えています。
…私はこの時期の生徒たちとともに学校生活を送り、これまで長いこと教育活動に
携わってきたのですが、たとえば「学力の向上」「体力の向上」「心の育ち」など、
考え出すと気が滅入ってしまうほど、解決しなければならない課題は沢山ありました。
(これからも…、きっと教育現場はそうだと思います)
そのような中で、私(私たち)が中学校の教員としてこれまで苦労し、悩み
ながら重ねてきた努力とはいったい何だったのだろうと、今、自問自答しています。
人間という生き物は、生まれてきた時から言葉を使ったり、自由に動き回ったり
することはできません。15~20年間という長い時間をかけ、周囲から「教育」を
受けることによって、大人としての生活を始めることができる…
そして、その教育を受けるべき最終段階が中学生時代…、義務教育最後の三年間です。
自分自身の力で進路を切り開き、次のステージに進んでいかなければならない、そういう
岐路に立たされる時期なのです…。
そういう、人生最初の峠に差しかかっている若者たちに、常に求めていたこととは
いったい何だったのか。
その答えを、今、このように思っています。
それは、生徒たちの「粘り強さ」や「自制心」「好奇心」「やり抜く力」「協調性」
などのような「非認知スキル」を伸ばすことであったと…。
私たち教員は、生徒たちに『どんなにつらいことがあってもへこたれないでほしい。
苦しくても自暴自棄にならず、目標を見失うことなく頑張り抜いてほしい。広く世界中で
起こっていることに目を向け、いろいろなことに興味を持ってほしい。人はみな違うのだと
いうことをわかり、相互を尊重する心を持ってほしい。周囲の人たちと協力して、何か新しく
すばらしい価値のあるものを創造してほしい。』などと願い続け、時には厳しく、時には
優しく、生徒たちに接してきた。必死の思いでそう願い続けてきたのではないか…そう思う
のです。これらはすべて、非認知スキルの育成を目指して取り組んできたことだと
言えるのです。
そして、そういったものの延長線上に、結果として「学力」「体力」という数値評価可能な
能力があるのだと、今はそう考えています。