太平洋せんそう(戦争)中、空しゅう(襲)
を まぬがれた
金沢市には、
ちょっと・うら(裏)通りに入ると、古いまちなみが
のこっています
「にし茶屋街」から、南大通をはさんで 向こうがわも、
しっとりとした・おもむきのある「寺町寺院群」・・
60あまりのお寺が あつめられた、この地区の中心的存在に
あたるのが、
こちらの「妙立寺」(みょうりゅうじ)です
妙立寺は、つうしょう(通称)「忍者寺
」として 国内外の子どもたちに
人気のある、
にちれん(日蓮)宗の お寺
2かいだて(階建)に見えるけど、実は4かいだて(階建)
だとか、
てき(敵)をあざむく・二枚戸や、
おとし穴、かくしとびらに
どんでん返し・・
などを そなえる、
からくりやしき(屋敷)です
(予約すれば、中を見れます♪)
このお寺がつくられたころの「加賀藩」は、「外様大名の最大手
」
として、
ばくふ(江戸幕府)から
目を つけられていました
「もしかしたら、徳川が難くせつけて攻撃してくるかも
」
という、
キケンな立場に
あったそうです
前田家は、金沢じょう(城)を 守るため、町の3ヶ所に
こうした・寺院ぐん(群)を
つくり、
いざ
という時には、ここに 「藩士」
を つめさせて、
げいげき(迎撃)のとりで(砦)に
しよう
と
考えたらしい・・
今は、「忍者寺
」なんて呼ばれて、「和製アミューズメント寺院」
として
おとずれる人を
たのしませていますが、
一国のぼうぎょ(防御)をになう、
キンチョー・はりつめる
ようさい(要塞)で
あったことは、
寺の内部に、
追いつめられたとき用の、
「切腹の間」があることからも、知れます
(その14、「室生犀星と、森八の羊羹」に、つづく)