最低最悪の状況に
自分を追いこめ
なぜなら最悪の状況こそ、最大のチャンスそのものだからだ
というより
自分が勝手に
最悪の状況まで自分を貶めしてしまうから
そこから
始まろうよ ということだけ . . . 本文を読む
立ち止まって
僕は過去を見やった
なおも繰り返される諸行無常に
僕はぱちくりと目を開けて
秋の空間を直観した
なるほど落ち葉は
かくもパサパサ
なるほど落窪
かくもドロドロ
堂々巡りを堂々と
為せる男は我なりと
声高に言っていた過去は遠い . . . 本文を読む
全ての真実を
射抜くための
矢は手元に揃っている
明日を拓く
その両手で
微かな希望の煙の行先を掴み取れ
日々は希望を
振り撒くことを辞めず
僕は
僕であることを辞めず
でもいつかは
僕は解体され
他の物質と混ざり合わされ
再構築される運命と決まっている
その日までの
この道程を
じっくり味わい尽くそう . . . 本文を読む
ほんとに、自分を「善く生きる」ためには、嫌われ者になっても仕様がないと思わなければいけない。自分を貫くことは、他の人との対立を生むこともあるからだ。でも、ほんとうに自分を貫いている人は、案外人とは対立しない。むしろ、その人の居場所を見つけて生きながらえていける。人と同じ者になろうとするほど、そこには多数の人が群がっていて、逆に自分の居場所を見つけられない。 それぞれの人が、それぞれに役割を持って . . . 本文を読む
<対立軸の設定に関する諸問題>
本来、何かしらの問題を解決するために設定されるのが対立軸なのだが(西洋は特にその実用性を声高に主張してきたが)、現代の日本におけるある人々の対立というのは、そう言った生産的な意味合いはほぼなく、対立することが目的化されてしまっている気がする。つまり、本人たちが対立したくて対立している、としか言えないようなものとなってしまっているのではないだろうか。
< . . . 本文を読む
光る明日の雲間から
夢を何度落としてきたろう
黒く澱んだ日々の路側帯に
数知れぬ疑義が繁茂するのを静かに確認する
烏龍茶の清冽でサッパリした喉越しに
心地よいグルーヴを提供する重厚な音楽たちが
仲良く隣り合って
僕のHeartを
knockする!
心を跳ね躍らせる
その陽気な群れのなかで音浴されるがいい!
ああ、その中に彼女の声が今宵も紛れている!
なあ、お前にも . . . 本文を読む
良からぬ噂を噛み砕いて
酔っ払いのお尻を引っぱたく
風 いや 女将の手
立ち上がれば
街角
熱風コンビナート
知らぬ間に白んでいく街のなか
孤独をぶら下げた販売員が
処女の穴ボコ駆け抜ける
立ち上がれば
街角
熱風コンビナート
イヤ 待って
イヤ 待って
盃を 引っくり返してよ
立ち上がれば
街角
熱風コンビナート
あの娘が
咲かずに
いら . . . 本文を読む
ああ!
君はそんなにも真っ白で
清々しくて
真夏のコーヒーが
甘く、甘く砂糖に支配されてしまうかのように
僕は
そんな君の欲情した姿を見てみたい
何を求めずとも
夏の炎天下
僕は浮かれた隙に
君の魔力に囚われてしまう
怖いほどに蕩けるようなジョウジは
ジョウジ緊張しっぱなしで、少しは笑えるくらいかな‥ . . . 本文を読む
人間が、確実性を追い求める動物だと言うのは、昔から知っている。だが、どこもかしこも世の中は不確実性だらけだ。もしかすると、数学なんかはそんな中で、「確実性」を保証してくれる学問であったのかもしれないが、その学問のなかでだって、「不完全性」が存在しているのはもう周知の事実である。
さて、では疑い得ぬものとはなんなのか? デカルトは、その昔「我思う、故に我在り」と曰ったが、
正直なところ、人間は、 . . . 本文を読む
誰にだって
「ありがとう! 」
と、言える人に成りたい
だって
君らが居なけりゃ
僕なんてのは存在していないも同然なんだぜ
この世に生きる人たちは
それぞれにとって特別な誰かに
或いはそれぞれ自分にとっては特別な人ではないと思っているかも知れないけれど
それでも見えない場所にいる他者に常に支えられているんだということを覚えていて欲しい
それがほんとうの人間の在り方なのだか . . . 本文を読む