友ちゃんブログ

適当で、いい加減・・・それが理想

すみませんでした

2011年06月20日 13時08分11秒 | O村高校

高校の同級生からのコメントが、当時のことを思い出す切っ掛けになります。
今回は『体育祭』について。
大高の体育祭にはまだ早いですが。

 

大高の体育祭は数年前から1・2・3年混成クラス対抗(この表現はあってるのか?1~3学年の同じクラスが1チームになるってことです)になっているようです。詳しい編成ははじめちゃんがご存じでしょうけどね。それまでは1学年対2学年対3学年の学年対抗でした。

そして、例年優勝するのは2学年でした。

3学年は既に受験体制に突入済み。しかし、最後の体育大会であり、出し物の作製などもあってなかなか忙しい。で、運動不足。
1学年は半年前は中学生。やっとこ、高校生活のリズムが分かり出した頃。勉強と運動のバランスがまだ掴めてない。

2年は高校生活もすっかり板についている。まだまだ、受験の緊張感は弱い。程良く勉強と運動をこなしている。

やはり、中堅の2学年が実力を遺憾なく発揮できる学年だったと云って良いでしょう。
当然私たちの学年も2年生の時は総合優勝しましたよ。

 

 

話は3年生時の体育祭。S52年10月2日。あっ、沈没騒動からひと月ちょっとなんですね。

学年の総合学力は今一でも、団結力はピカ一。模試となるとテンションが下がるが、お祭りとなるとテンションが一気に上がる。そんな学年でした。

私たちの3学年は前年と同様、総合優勝を狙っていたのです。 

『2連覇たい!』

しかし、1年前は新米高校生だった2学年は当然力をつけています。私達3学年は状況から判断すると2学年より不利であることは確か。まともに勝負して勝てるのか?

 

当時、私は陸上部のキャプテンでした。(短距離400mを走っておりました)
陸上部員は体育祭においてスターター等の役を受け持っていました。 

そこで、

「点数を稼ぐためになら、多少の・・・」という話だったかは覚えていませんが、

「お前がスターターとして立つのなら、他の奴らより早くスタートを切れるように何かサインを出せ!」と数名の級友に脅しを掛けられていたのです。

私はあっさりと合意。

ならばと、ピストルを持った右手ではなく、空いている左手でサインを送ることにしたのです。

「ピストルば鳴らす直前に左手ばこがん動かすけん」

それはピストルの引き金を引くより一瞬早く、左手をピクリッと動かすから・・という打ち合わせです。

「よし、分かった。他のもんにも教えとく」

 

 

「位置について」

ピストルを持った右手を挙げて 「よ~~い。」

だらりと下ろした左手の先がピクッと動きます。

級友が一番にスタートを切ります。

間髪入れずピストルを鳴らします。

一瞬「フライングじゃん!?」と思う者もいたでしょうが、

レース進行の権限はスターターにゆだねられておりますのでそのまま続行です。

多少のクレームも無かった訳ではありませんけどね。

これで、何人かは上位に食い込みました。

 

同級生の皆さん、卒業アルバムS52年10月2日体育大会のページ。

左ページ中央下に一着でテープを切るE藤と2位のK子さんの写真が写っています。

あれはE藤の実力ではありません。上記のインチキのおかげです。
ついでに言わせてもらうと、写真の彼が履いている青にラインのシューズは私のものです。確かアディダスのトレシュ(トレーニングシューズ)だったと思います。
走る直前にこれまた「貸せ!」と脅されたのです。

Img225

(赤〇のシューズは私のものです) 

 

さて、表題の件に入っていきましょう。

上記のようなイカサマもしながら、3学年と2学年の得点は接戦でした。
さぁ、最終プログラムとなりました。種目はリレーの花形、学年対抗リレー。このレースは各学年の選り抜きの選手が出場します。リレーは何人出場だったのかは覚えていません。
その中の女子学年対抗リレー。(この後男子だったのかな?)

 

さあ、スタートです。
(流石に途中の経過は記憶しておりません)
レースは終始3学年女子がリードしていたと思います。
テープを切ったのも3学年じゃなかったかしら。
歓声に沸きあがる応援席、健闘をたたえあう走者達。
しかし、思いもよらぬ結果が待ち受けていたのです。
それはリレーゾーンオーバー(正式にはテイクオーバーゾーン)。後半の何?走者かがこのゾーンをオーバーしてバトンを受けとってしまったのです。判定結果は失格。

このゾーンは例年設定されていたわけではありません。この年新たに陸上部で設定したのです。
「ゾーン外でバトンをリレーしたチームは失格とし、得点は無し」
そして、ソーンを設定しようと言ったのはこの私だったのです。
何故設定をしたか?
それは、ゾーンを設定することによって、走者達がダラダラと広がることを避けたいと思ったからだったのです。

 

この女子のレースの後に男子のレースだったと思います。私は男子の選手として出場したのですが、自分のレースは殆ど記憶にありません。何位だったかも記憶にないのです。それは、私の頭の中は「俺が設定したばかりに、こがんことになってしもうて・・・」と自分が設定したことで失格となった女子達にすまない気持ちで一杯だったからです。

途中の得点発表では、たとえ女子が失格したとしても、それをカバーするだけの点数差があったのでしょう。
「もしかすると2年に勝ったかも」 私も皆もそう期待していたに違いありません。

 

そして、最終集計です。
私達の応援席に発表より早く情報が入りました。
「2点差ぐらいで勝ったらしい」
そこら一帯で歓声が湧きました。

そして、正式発表です。

「優勝は2学年 〇〇〇点」

2年生が先ほどとは比べ物にならない大きな歓声をあげます。 

「え? 2点差で勝ったとじゃ・・・・」

 

何点差だったかは覚えていません。最終結果は2学年に負けてしまいました。

ただ、女子リレーの得点を加算すれば勝てた点数差だったんだと思います。

 

体育祭のすべてのプログラムを終えて着替えの為に教室へ向かう中、私のそばで「ごめん」と泣きながら歩いている女子達がいます。彼女達は悔しさと申し訳なさに泣いていたのでしょう。
私は「よかよか。実力じゃ勝っとったとやっけん」と声掛けながらも、実は自分を責めていたのでした。

 

でも、やっぱり私たちの学年の団結力はすごかったんですよ。
実力では2年にまけてなかったんです。これは確かです。

 

S52年10月2日体育大会。
あの時走った女子の選手のみんな。
そして、応援した同級生のみんな。
ゾーンさえ無ければ連覇出来ていました。

すみませんでした。

上級生・下級生の皆さん。すみませんでした。


Img226

黄色〇の写真が女子学年対抗リレーの一枚じゃないかしら。

3年は緑のハチマキ。あっ、写っているのも〝みどり〝さんだ。

 

2組の出し物。『ヤッターワン』作製顛末記はこちらで。

 

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コメント (6)
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