遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

鑑定本5 落款印譜写真集2種、『書画 落款印譜大全』、『評伝 日本書画名家辞典』

2024年09月11日 | 骨董本・雑誌

今回も大部の落款印譜集、2種です。われながら、こういう類の巨大本をよくも集めたものだと思います(^^;

ただ、今回の本は、ある意味画期的です。それは、書画の落款や印譜を、絵師が写したのではなく、写真に撮ったものを載せてあるからです。したがって、資料の信頼性は格段に上がります。

狩野亨吉、井上方外『書画 落款印譜大全』と小林雲山『日本書画名家辞典 』です。

 

狩野亨吉、井上方外『書画 落款印譜大全 第一輯、第二輯』武侠社、昭和6年。

第一輯、第二輯の2巻仕立てです。第一輯は江戸時代まで、第二輯には明治以降の落款、印譜が載っています。それぞれ、600頁ほどです。

付箋の数が、使用頻度を物語っています。

ですので、傷みがはげしい(^^;

特に使用頻度の高い第一輯は、表紙がはずれ、ボロボロです。

昭和6年発行です。定価金拾圓は、今の金で2-3万円くらいでしょうか。そうやすやすと購入できる本ではなかったでしょう。写真左端の購入控え番号が第076號であるのも頷けますね(^.^)

書画の著者別に、印譜の写真がずらっと載っています。数少ないですが作品も。

左:佐藤一斎    右:頼三樹(三郎)

谷文晁の作品と落款。

谷文晁は印譜だけで、14頁にもわたっています。

第二輯は。明治以降の作家のデータ。下写真は、柴田是真の印譜です。

 

小林雲山『評伝 日本書画名家辞典 』二松堂、昭和6年(今回の品は、その復刻版、昭和56年)

分厚く重い本です。1000頁ほどあります。

その大半は、書画の作者についての評伝です。

すでに、類書はいっぱいもっています。では、なぜこの本を買ったか?

そうです。最後に、付録?として、写真版の落款、印譜集が付いているからです。60頁ほどで、大したことはないのですが、それでも写真データは貴重です。

頼山陽の印譜。

この本の写真は、ひょっとしたら先の本と同じ?

そこで、印譜を比較してみました。

右側は、先の『書画 落款印譜大全 第一輯』です。

一番大きな印譜写真(「三十六峰外史」)を較べると、よく似てはいますが(当たり前(^^;)、細部には明らかに違いがあります。2種の本は、それぞれ、頼山陽の別の作品から撮っていることがわかります。

奇しくも、今回の2種の落款、印譜集は、いずれも昭和6年の発行です。そして私の知る限り、これ以降、写真に基づく落款、印譜集は出されていません。類似の物は、近年、美術館が発行する展示図録の巻末に見られるようになりました。

今回の本は、時代を先取りした画期的なものだったのですね。

著者たちは、いずれも明治の人です。

狩野亨吉(かのう こうきち、1865(慶応元)年) - 1942(昭和17)年))は、後述のように一筋縄ではとらえきれない巨人、小林雲山(勉)(1885(明治18)年ー没?)は書家として活躍する傍ら、日本の書画作家の評伝をまとめた人物です。井上方外の詳細は不明。

なかでも、狩野亨吉の人物像には驚かされます。

狩野亮吉は、江戸の思想家、安藤昌益を発掘した明治の学者として知られています。夏目漱石の友人で、『吾輩は猫である』や『それから』には、彼をモデルにしたと思われる人物が登場します。京都帝国大学総長を退いた後は、東北帝国大学総長に推されたり、皇太子(後の昭和天皇)の教育掛に推されたりしましたが、自分は危険人物であるとして、頑なに固辞しました。そして、「書画鑑定並びに著述業」により生計をたて、生涯独身、毎日、自分の性器をながめながら、春画研究に没頭したといいます。

京大変人列伝を書くならば、まず最初に来るべき人物だと思います。

明治の学者はとてつもなく、偉大ですね(^.^)

 

コメント (6)
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