先回に引き続き、江戸後期の儒学者、佐藤一斎の書です。
今回の書は、佐藤一斎最晩年(88歳)に、『言志晩録』の中の一つを揮毫したものです。
全体 59.8㎝x207.8㎝、本紙(紙本) 45.6㎝X125.3㎝。江戸後期(安政六年)。
『言志晩録』は、天保九(1838)年、佐藤一斎67歳から嘉永七年、78歳までに書かれた全292条からなります。その中の172条を、最晩年にしたためたのが今回の品です。
『言志晩録』一七二条
愼獨工夫、當如身在稠人廣座中一般。
應酬工夫、當如間居獨處時一般。 八十八老人一斎担書
愼獨の工夫は、當(まさ)に身稠人廣座の中に在るが如く一般なるべし。應酬の工夫は、當(まさ)に間居獨處の時の如く一般なるべし。
愼獨(しんどく);独りの時でも、心を正し、言行を慎む事。君子必慎其独也(「礼記」)による。
稠人廣座(ちゅうじんこうざ); 多くの人が寄り集まった広い座敷。多くの人の中。
應酬;応対する。
間居(かんきょ);世俗を逃れて心静かに暮らすこと。
獨處(どくしょ);一人でいること。
一人で心を正し身を慎むには、自分が今、多くの人でいっぱいの大座敷にいると想像するに限る。逆に、多数の人に応対するには、自分一人で静かにすごしている時と同じ気持ちでいるとよい。
『言志四録』は、西郷隆盛の座右の書でした。文久六年、徳之島から沖永良部島へ送られ、獄舎に幽閉された西郷は、自分が気に入った文章101条を抜き書きしました。それは、西郷の死後、明治21年、秋月種樹によって『南洲手抄言志録』として出版されました。
今回の格言、『言志晩録』一七二条は、『南洲手抄言志録』七六条に相当します。
絶海の孤島に流され、壁の無い格子の獄舎で、独り、西郷はどのような人混みを思い浮かべて、身を慎んだのでしょうか。