実業家、渋沢栄一の自作漢詩です。
渋沢栄一 七言絶句「偶成」、色紙(18.1㎝X21.0㎝)。昭和。
【渋沢栄一】天保十一(1840)年―昭和六(1931)年。実業家。武蔵国血洗島の豪農の生れ。一時、倒幕運動に参加したが,後に一橋家に仕え幕臣となる。慶喜の弟、昭武のフランスの万国博使節団に加わり,ヨーロッパの近代的社会経済見聞した後、多くの近代的企業会社を興し、日本の近代化を推進した。
七言絶句「偶成」(「春花落尽」)
春花落尽忽秋霜
一瞬朝暉変夕陽
休説世間人事劇
観来造物亦多忙
青淵録奮作
春花落ち尽くせば、忽(たちまち)秋霜。
一瞬の朝暉、変じて夕陽。
説くを休(や)めよ、世間人事の劇(はげ)しきを。
観来すれば、造物も亦(また)多忙。
偶成(ぐううせい);ふと出来上がった詩。
朝暉(ちょうき);朝日の光。
夕陽(せきよう);夕日。
人事(じんじ);世間の出来事。
劇(はげし);めまぐるしい様。
観来(かんらい);見てみれば。
造物(ぞうぶつ);自然。
春の花が散れば、たちまち秋霜が降りる。
一瞬の朝日も、すぐに夕日に変わる。
世間の出来事がめまぐるしいなどと言うなかれ。
見てみれば、自然だってはやく移り変わっているではないか。 青淵(栄一の号)、旧作を記す。
明治四二(1909)年、実業界を大方退いた渋沢栄一は、8月19日、渡米実業団一行を率いて東京を出発し、横浜よりミネソタ号に乗船、シアトルに向かいました。今回の漢詩は、横浜を出発する際に詠まれた『遊米雑詩』の中の一部です。他の漢詩のほとんどが、旅に関するものであるのに対して、今回のブログで取り上げた作品は「偶成」と題されているように、ふと心に浮かんだ人生の機微をうたったものです。実業界を主導し、がむしゃらに日本の近代化をしてきた渋沢ですが、一線を退き、長旅に船出する時、これまで自分が歩んできた道程を振り返って感慨に耽っていたのではないでしょうか。