古い巻物です。
広げると、かなりの長さになります。
28㎝x466㎝。江戸後期ー明治初。
一筆書きのような書体です。このような書法があるのでしょうか。
「逸氣芨毫」 逸氣;気持ちがたかぶる事。
芨はよくわかりませんが、「気持ちが高ぶって筆をとった」という意味でしょうか。
その後に、いくつかの絵が描かれています。
最初は、「五代松石」。
どこかで見たことのあるタッチだと思いました。調べてみると、文人画を大成した池大雅の絵手本、『大雅画法』の中に似た絵がありました。
村瀬秋水が、文人画の大家、池大雅の画法を学ぶために、絵手本を写したのですね。
以下の絵も、『大雅画法』に元絵がありました(上が村瀬秋水、下が『大雅画法』)。
「元人層巒」
「叔明亂麻」
「竹巖新霽」
「仲圭谿居」
「碧梧翠竹山房」
「長頭馬牙」
「亂麻」
「高房山房」
『大雅画法』に載っていない絵もありました。タイトルがついていないので、村瀬秋水オリジナルの画でしょう。
池大雅と妻、玉瀾は、ともに、世俗的な事柄には無頓着で、二人で絵画三昧の清貧生活をおくりました。大雅は、自分が亡くなった後、玉瀾が画業で生きていけるよう、多くの絵手本を残しました。その中の一つ、『大雅画法』は、大雅の死後30年ほど後に、関係者が出版した絵手本です。村瀬秋水は、池大雅の70年後に生れています。直接的な影響は受けていませんが、大雅の残した絵手本を写す中で、大雅の画法を身につけていったのでしょう。
そういう眼でこれまで紹介した村瀬秋水の山水画を見てみると、明らかに池大雅の描法が反映されていることがわかります。
『水墨淡彩 寒江獨釣図』
『水墨淡彩 養老瀑布図』