遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

歌川国芳『木曽街道六十九次之内 美江寺 紅葉狩』

2025年02月23日 | 故玩館日記

故玩館の地元、中山道美江寺宿の浮世絵です。

一勇斎(歌川)国芳『木曽街道六十九次之内 美江寺 紅葉狩』

24.3㎝x35.5㎝。幕末。

『木曽街道六十九次』の浮世絵には、2種類あります。いずれも、中山道の69宿を一枚ずつ描いています。よく知られているのは、渓斎英泉、歌川広重によるシリーズです。もう一つは、一勇斎(歌川)國芳による『木曽街道六十九次』シリーズです。したがって、各宿場につき、2種類の浮世絵が存在します。英泉、広重の浮世絵は、それぞれの宿場の情景を描いています。それに対して、国芳は、現実の宿場とは無関係に、ダジャレなどの言葉遊びと繋がった図柄や判じ絵もどきの浮世絵を描いています。こちらの浮世絵は、英泉、広重の品に較べれば、入手しやすいです。

今回の品は、一勇斎(歌川)国芳『木曽街道六十九次之内 美江寺 紅葉狩』です。オリジナル(裏打有)です。

夜、紅葉の下で、3人の美女が酒を飲んでいます。

「木曽街道六十九次之内 美江寺(みえじ) 紅葉狩」のタイトルが書かれています。

しかし、この浮世絵が、どうして、美江寺宿を表しているのでしょうか?

焚火の上には銚子、酒の燗をしているのでしょう。

不思議なのは、美女たちの表情です。三人、三様。中央の女性は泣いています。盃をすすめる女性は口をへの字にまげて怒っている様子。それを見つめる右端の女性は、わずかに口を開けています。笑っているのでしょう。

この絵の左下、徳利の脇には、熊手があります。彼女たちは紅葉の枝葉を掃いていたのでしょう。

なお、サイン「一勇斎國芳画」の上には、「五十六」と小さく書かれていて、木曽街道六十九次之内五十六番目の宿場であることを表しています。

酒を呑んで泣き、笑い、怒る3人。これは、浄瑠璃、歌舞伎の『源平布引滝』四段目の「紅葉山」に登場する三人仕丁と思われます。

平家打倒の密議が発覚し、平清盛によって鳥羽御殿に幽閉されてしまった後鳥羽上皇を救おうと、源行綱は琵琶法師に身をやつして鳥羽殿に潜入します。殿の庭では、三人の仕丁が、紅葉の枝を焚いて暖をとり酒盛りをしていました。この三人は怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸で、観客の笑いをさそいます。

上図に添えられていた熊手は、紅葉の枝葉を集めて燃やしていた仕丁を象徴していたのですね。

三人仕丁は、雛飾りの中にもいます。

人物の中で一番下の段の三人。雛飾りでは、唯一の庶民です。

いずれも掃除道具を持ち、左から順に、怒り、泣き、笑った表情をしています。人間の喜怒哀楽を表しているのですね。雛飾りでは、感情豊かで人間味溢れた女の子に成長してほしいと願っているのだそうです。

しかし、これでは「美江寺」に繋がりません。謎を解くカギは、右上部の図にありました。

「木曽街道六十九次之内」は、色々な道具で縁どられています。ほうき、熊手、煙管、袋などとともに、帽子のような物(上中央)が描かれています。これは、奈良時代の冑、それも綿甲(めんこう)とよばれた下級兵士の被り物だと思います。このような品を身につけたのは、衛士(えじ)と呼ばれた徴用人たちです。衛士は、律令制下で、諸国から選抜されて宮廷の警護にあたりました。一方、ほうきや熊手は、仕丁の持ち物です。仕丁は、貴族などの宮廷における雑用係で、地方から徴用されました。このように、衛士と仕丁は異なるのですが、後世にはほとんど同じ意味で使われるようになりました。ですから、雛飾りでは、衛士と仕丁、どちらでもアリです。

したがって、三人仕丁=>三人衛士・・>三衛士==>みえじ(美江寺) となります(^^;

ところで、仕丁や衛士は男性です。しかし、絵には、三人の美女が描かれています。美女たちは、能『紅葉狩り』から来ているのではないでしょうか。

地ク「げにや虎渓を出でし古も。心ざしをば捨てがたき。人の情の盃の。深き契のためしとかや。
シテ「林間に酒をあたゝめて紅葉を焼くとかや。
地「げに面白や所から。巌の上の苔莚。片敷く袖も紅葉衣の。くれなゐ深き顔ばせの。
ワキ「此世の人とも思はれず。
地「胸うち騒ぐばかりなり。

美女(鬼の化身)たちが、紅葉の下、焚火をして酒を楽しんでいるのです。

衛士でもある美女ですから、美衛士=>美江寺(^^;

衛士が焚火をするクダリは、能『鉢木』にも出てきます。

【薪の段】・・・・さて松はさしもげに。枝をため葉をすかして。かかりあれと植え置きし。そのかい今は嵐吹く。松はもとより煙にて。薪となるも理や切りくべて今ぞみ垣守。衛士の焚く火はおためなりよく寄りてあたり給えや。

国芳さんのおかげで、本当にあれこれと頭をめぐらすことができました(^.^)

なお、銚子には、堤(峠?)の上を旅人たちが歩いているところが描かれています。両脇には松が生えています。このような場所は、完全に平地の美江寺宿にはありません。可能性としては、故玩館横の輪中堤が考えられますが、当時の輪中堤はピラミッドのようにするどく、人が往来できるような道はありませんでした。ですから、美江寺ではなく、ごく一般的な街道風景を描いたものだと思います。いわば、オマケ(^.^)

 


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6 コメント

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Dr.Kさんへ (遅生)
2025-02-23 17:27:23
ほんと、荒唐無稽の絵ですよね。とても「美江寺」は思いつきません。
でも、このシリーズでは、マシな方なんです。もっともっとトンデモ絵があります。それはそれでパロディとしては面白いのですが、とても詩情は感じられません。その点、今回の浮世絵は、美女が出てきただけでも良しとせねばなりません(^^;
それに対して、広重の『美江寺』は、『木曽街道六十九次』シリーズの中でも名作だそうですので、いずれ、もう一度、リキを入れてブログアップしようと思っています。しかし、もう竹藪がないので、ちょっと力不足かもしれません(^.^)
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遅生さんへ (Dr.K)
2025-02-23 16:18:43
『木曽街道六十九次』の浮世絵には、2種類あるんですね。
「一番よく知られているのは、渓斎英泉、歌川広重によるシリーズ」で、もう一つは、「一勇斎(歌川)國芳による『木曽街道六十九次』シリーズ」なんですね。
「したがって、各宿場につき、2種類の浮世絵が存在」するわけなのですね。

ただ、この歌川國芳の「美江寺(みえじ) 紅葉狩」からは、「美江寺宿」を表しているとは、到底想像も出来ませんね(><)
遅生さんの名解説があるから解るようなものの、自分では到底思いもよらず、考える前にギブアップで、絵を鑑賞する前にダウンですね(~_~;)

その点、以前、遅生さんが、2022年5月1日に紹介された歌川広重の「木曽街道六十九次之内五十六 みゑじ」は、普通に、素直に鑑賞出来ますし、分かり易いですね(^_^)
2022年5月1日の記事を再読し、歌川広重の「木曽街道六十九次之内五十六 みゑじ」が描かれた場所と故玩館が存在していた場所を発見したクダリには、改めて感動いたしました(^-^*)
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ぽぽさんへ (遅生)
2025-02-23 10:42:29
せっかく入手した品ですから、とことん味わい尽くさねば(^^;
陶磁器でも思うのですが、駄品、名品にかかわらず、どれだけ多く愉しめるかが骨董のコストパフォーマンスといえるのではないでしょうか。
これが、ビンボーコレクターの到達点(^.^)
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クkinntilyannsさんへ (遅生)
2025-02-23 10:34:49
これだけいろいろと考えを廻らさなければいけない浮世絵も少ないです。
さすが国芳ですね。
鬼、必ずしも悪人ならず。多数派から疎まれたり、権力者から迫害を受けたマイノリティの恨みの形相。
紅葉の下で滅んでいく哀愁は、日本の美学なのでしょう。
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Unknown (ぽぽ)
2025-02-23 10:34:21
遅生さんへ

解説が相変わらずすごいです(^^)
浮世絵からよくぞここまで。
なぞなぞのレベルが高すぎます。笑
作品も構図が面白いですよね!?
酒器で切り抜かれた風景画のところが好きです。
そこもしっかり考察されているところも流石です(^^)
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Unknown (kinntilyann)
2025-02-23 08:44:02
おはようございます(⁠^⁠^⁠)/

なるほど!!!
粋な解釈(⁠^⁠^⁠)v
鬼。
紅葉と鬼女はよく似合う。
美貌の衛士は喰われちまったんかも。

良い1日でありますように(⁠^⁠^⁠)/
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