能楽関係の故玩のうち、資料的な品を少しずつ紹介していきます。
金春札と呼ばれている米手形です。
3.8x14.8㎝
分厚い和紙に木版刷り。1枚の両面を表示。
縁起の良い大黒さん。
銀一匁の兌換券であることを示しています。
地域の米請屓(こめうけおい)の庄屋、年寄、惣百姓。
能の金春家らしく、高砂の絵が描かれています。
和州(大和の国)の金春米會所が発行した手形です。
南都(奈良)引替所でもあるわけです。
この品は、広義には、藩札の一種、米手形(米札)で、通称、金春札と呼ばれているものです。
藩札は、江戸時代、各藩が発行し、領内で使われた兌換券ですが、藩以外に、寺社や町村なども同様の紙幣を発行することがありました。
能楽五流派のなかで、ずっと大和を本拠地とし、古い芸風を保ってきたのが金春流です。熱狂的な能愛好者であった豊臣秀吉は金春太夫に能をまなび、金春流を庇護しました。金春家は、大和に所領を得て、経済的に恵まれた状態にあったのです。
江戸時代に入り、能の各座は、幕府、大名のお抱えとなり、扶持米を与えられかわりに、厳しい制約の下で活動をしました。
それに対して、金春家は、奈良に所領をもち、幕末には、独自の兌換券、金春札を発行するほどであったのです。この金春札に記された米請屓の庄屋、年寄、惣百姓の中川村、坊城村、坂原村が金春の所領だと思われます。
なお、通常の米手形(米札)は、米と通貨を結ぶ証明書ですから、米の量とその金銭に換算した額が記してあるのが普通です。とこころが、金春札には、「銀一匁」としか書かれていません。これは、米相場の変動が激しかったためか、それとも、米手形の形式をとっているだけで、実質的な紙幣として金春札を発行したのか、どちらかでしょう。
しかし、明治維新後、藩札類は価値を失いました。金春札もその波にもまれ、取り付け騒ぎが起こり、混乱の中で、多くの貴重な能楽資料が失われたといわれています。そして、金春家は没落しました。
事情は、他の能楽流派も同じで、明治維新後、庇護する大名がいなくなり、能関係者は路頭に迷うことになりました。
明治初期、能楽は消滅の危機を迎えたのです。
小さな金春札ですが、こうやって手に取って眺めていると、能楽の栄枯盛衰が感じられ、感慨深いものがあります。
解読、整理に時間のかかる資料もあり、なかなかはかどりませんが、少しずつ紹介してゆきますので、よろしくお願いします。
謡曲の調べが聞こえてきそうです。
続きが楽しみです^^
ありがとうございます。
こういう物は、またそれこの分野で、熱心なコレクターがいます。金春札などは、レア物(キワモノ?)に属するようです。
物があると、歴史も少し身近になりますね(^.^)
巾広く、いろんな物を集められているんですね。