遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能楽資料1 金春札

2020年05月23日 | 能楽ー資料

能楽関係の故玩のうち、資料的な品を少しずつ紹介していきます。

 

金春札と呼ばれている米手形です。

            3.8x14.8㎝   

分厚い和紙に木版刷り。1枚の両面を表示。

 

        

 

縁起の良い大黒さん。

銀一匁の兌換券であることを示しています。

地域の米請屓(こめうけおい)の庄屋、年寄、惣百姓。

 

 

 

能の金春家らしく、高砂の絵が描かれています。

和州(大和の国)の金春米會所が発行した手形です。

 

南都(奈良)引替所でもあるわけです。

 

この品は、広義には、藩札の一種、米手形(米札)で、通称、金春札と呼ばれているものです。

藩札は、江戸時代、各藩が発行し、領内で使われた兌換券ですが、藩以外に、寺社や町村なども同様の紙幣を発行することがありました。

能楽五流派のなかで、ずっと大和を本拠地とし、古い芸風を保ってきたのが金春流です。熱狂的な能愛好者であった豊臣秀吉は金春太夫に能をまなび、金春流を庇護しました。金春家は、大和に所領を得て、経済的に恵まれた状態にあったのです。

江戸時代に入り、能の各座は、幕府、大名のお抱えとなり、扶持米を与えられかわりに、厳しい制約の下で活動をしました。

それに対して、金春家は、奈良に所領をもち、幕末には、独自の兌換券、金春札を発行するほどであったのです。この金春札に記された米請屓の庄屋、年寄、惣百姓の中川村、坊城村、坂原村が金春の所領だと思われます。

なお、通常の米手形(米札)は、米と通貨を結ぶ証明書ですから、米の量とその金銭に換算した額が記してあるのが普通です。とこころが、金春札には、「銀一匁」としか書かれていません。これは、米相場の変動が激しかったためか、それとも、米手形の形式をとっているだけで、実質的な紙幣として金春札を発行したのか、どちらかでしょう。

しかし、明治維新後、藩札類は価値を失いました。金春札もその波にもまれ、取り付け騒ぎが起こり、混乱の中で、多くの貴重な能楽資料が失われたといわれています。そして、金春家は没落しました。

事情は、他の能楽流派も同じで、明治維新後、庇護する大名がいなくなり、能関係者は路頭に迷うことになりました。

明治初期、能楽は消滅の危機を迎えたのです。

小さな金春札ですが、こうやって手に取って眺めていると、能楽の栄枯盛衰が感じられ、感慨深いものがあります。

 

 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Ranchoさんへ (遅生)
2020-05-23 16:05:59
コメント、ありがとうございます。

解読、整理に時間のかかる資料もあり、なかなかはかどりませんが、少しずつ紹介してゆきますので、よろしくお願いします。
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こんにちは (Rancho)
2020-05-23 14:03:26
珍しい手形を拝見でき、光栄です。
謡曲の調べが聞こえてきそうです。
続きが楽しみです^^
ありがとうございます。
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Dr.Kさんへ (遅生)
2020-05-23 11:40:35
藩札については、私も同じです(^^;

こういう物は、またそれこの分野で、熱心なコレクターがいます。金春札などは、レア物(キワモノ?)に属するようです。

物があると、歴史も少し身近になりますね(^.^)
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遅生さんへ (Dr.K)
2020-05-23 11:31:23
藩札というものは知っていましたが、金春札というものは知りませんでした。
巾広く、いろんな物を集められているんですね。
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