瀬戸の膾皿です。
古伊万里コレクターのDr.Kさんのブログで「染付 網目文 小角徳利」が紹介されていました。徳利は、伊万里ではなく、瀬戸産だろうとのことでした。で、いつものように、そういえばウチにも、となった次第です(^^;
径 15.7㎝、高台径 9.3㎝、高 3.1㎝。幕末―明治。
故玩館改修時に、床下から拾い上げた物の一つです(^^;
山水図と一樹一屋図をミックスしたような絵付けです。おまけに、門や塀のような物まで描きこんでサービス満点です。水辺で通眼鏡かラッパを持った紅毛人まで立っていそうな雰囲気です(^.^)
この品は、ありふれた日用品なのですが、産地はどこでしょうか。
普通なら伊万里焼となるところですが、幕末から明治にかけて、瀬戸では猛烈な勢いで磁器生産を行うようになりました。故玩館の辺りは、地理的な事もあって、瀬戸の器がほとんどです。そんな訳で、この膾皿も瀬戸製としました。
骨董屋の親爺の言では、瀬戸の土は伊万里より粗いそうです。
そう言われてみれば、そんな気もする今日この頃です(^.^)
伊万里といえば伊万里に見えますし、瀬戸だと言われれば「なるほど~」と思ってしまいます
ウチにある明治期の瀬戸の小皿の高台を触ってみたら
確かに伊万里に比べるとザラついているようには感じます。
今更ながら焼物は難しいですね・・・。
出自が由緒正しいですね(^_^)
幕末になりますと、各地で磁器が焼かれるようになりますから、産地の特定が難しいですね(><)
「染付 網目文 小角徳利」につきましては、これだけのものを作れるのは、当時としては、田舎の小さな窯場では無理だったでしょうから、有田以外では、平戸(三川内)と瀬戸くらいだと思ったわけです。
それで、消去法で考え、平戸(三川内)ではなさそうですので、瀬戸としたものです。
なかなか難しいですね(~_~;)
ちなみに、インスタグラムでも紹介しましたところ、伊万里磁器に明るい越前屋平太さんという方も、瀬戸に賛同してくれました。
瀬戸では、幕末頃、盛んに伊万里の技術を盗みに行っていたそうですから、明治に入ればそれっということで、大々的に生産したのだと思います。
おまけに、すぐ美濃も参入してくるわけですから、もう戦国時代です。
逆に、この時代の伊万里は貴重ではないでしょうか。
後日、伊万里と考えられる(と思いたい)ベロ藍の大皿をアップします。もらい物です(^.^)