掛軸ではなく、短冊に書かれた自作和歌です。
短冊:6.0㎝x36.4㎝。明治。
『春き多可 をやミし庭を ひとり見て
ゐ可んとすれは 薫流梅ヵ香 常貞』
「春来たか 親見し庭を 一人見て
行かんとすれば 薫る梅が香 常貞」
「春き(幾)多可」か「春さ(左)多可」か、随分迷いました。字からすると、どちらでもOK。でも、「春定か」では、句が薄っぺらくなるので、ここは「春来たか」でしょう、と判断しました(^.^)
「常貞」は、米山の本名です。日常的な文章や作品の落款には、名を用いたようです。
伊予松山郊外の片田舎、中央で活躍する弟たちを想い、神官として一人、神社を守りながら、平凡な毎日を送っている米山の心のうちがわかります。
先回の自作俳句『とんぼうや』とともに、私が好きな米山作品です。
米山の本拠地「日尾八幡神社」。この句で詠まれた庭が、麓のこの辺りをさすのか、階段を上がった本社周りを指すのかはわかりません。
流石に、横長文字で豪快には書けませんから、サラサラサラと流暢に書いていますね(^_^)
でも、どこか、横長文字の特徴がみられますね。
それでも、やはり、文字には味があり、上手ですね(^-^*)
さらりと書いた句なんでしょうが、やはり全体として見ると整っていてお上手ですよね。
いままでのもなんと書いているか読めませんでしたが、今回のものは更に解読難しい様におもいました。(^^;)
掛け軸だと飾る場所や大きさの問題があひますがこれくらいのものであればトイレ美術館にも納まりそうです。
サイズ感がいいですね(^^)
大文字を雄大に書くことを得意とする米山にとってみれば、チマチマした字は苦手だったのかもしれません。
短冊は、細字で流麗な文字が合っていますね。
でも、毎日日記を書いていましたし、このような自作和歌や俳句も、自分のための記録的な側面があり、それらを小さな文字でトツトツと書くのも案外好きだったのではないでしょうか。
読めた(と信じたい(^^;)のは極最近です。
生活パターンがすっかり変わって、掛軸などは過去の遺物です。それにつられて短冊も。
結果として市場価格は、ごく一部の品を除いて、ダラ安です。けれで、美的価値は変わらないわけですから、考えようによっては狙い目です。
こういう物は、気軽に展示を変えて楽しめます(額入りの絵はなかなかそうはいかない)。