芝居好き(上欄)と旅好き(下欄)が、自分たちを褒め、相手をやっつける、かけ合い口論です。
横書きブログでは、上欄、下欄の配置をこのまま書くのは難しいので、先回と同じく、上欄、下欄を4分割して載せます。
読者各位で、上下を突き合わせてみてください。最後の欄などは、上下の内容が対になっていて面白いです。
「芝居好旅ず記 へんくつ論」
○芝居ずきのいふにハ
・芝居をミれバ物知りになつて 一生のうちに徳多し
・よし野高雄の花も紅葉も しんどなしにミる道具立
・二の替りハかんばんの花やかさ これより芸めく物が有らふか 【二の替り】江戸時代、京坂地方の歌舞伎で、顔見世興行(十一月)の次の興行。十二月下旬より始まった。
・女子の旅やつれ日にやけた 顔にハ三年の恋もさめる
・野道のにハか雨にあふとき 雨具のないは見ぐるしいもの
・山坂のなん所をこうりめし一トツ たよりとは心ぼそいもの(山坂の難所を行李飯一つ頼りとは心細いもの) 【行李飯】携帯に便利なように、竹で編んだ容器に入れた飯。
・幾日も/\川どめやふね乃 風まちたいくつにあらふ(幾日も/\川止めや舟の風待ち、退屈にあろふ)
・芝居へつれて行といへば 子どもがやいとをすへる
・こんにも叶はぬ遠道にうまれも つかぬのにちんばひく人(今にも叶はぬ遠道に生れもつかぬ野にちんば引く人)
【今(こん)】本日 、【生れもつかぬ】事故・病気などで障害をもった
・なぐさミの旅へ出て馬駕籠ニ よふたもくるしいものじや(慰みの旅へ出て、馬駕籠に酔ふたも苦しいものじゃ)
・船に乗るから小便をめんじる 女子の心づかひは気のどく(船に乗るから小便を免じる女子の気遣ひは気の毒)
〇旅ずきのこたへにハ
・可愛子には旅をさせいといふ たとへありてたびハ身の為なり
・ぶら/\した銀箔の置いた月で 須磨あかしのけしきかなふか(ブラブラした銀箔の置いた月で、須磨明石の景色叶ふか)
・長閑なそらに伊勢まいり はるのたのしミハ是が第一(長閑な空に伊勢参り、春の楽しみは是が第一)
・湯治西國大和めぐりの留主見舞もあき内のかね(湯治西國大和巡りの留守見舞も商いの金)
・本あめ水ぶねのきやうぶんに むしろかづくも見ぐるしい(本雨水船の凶聞に、莚かづくも見苦しい)
・芝居でハ弁当くふ間もをしミ まヽより好とはなげいた事(芝居では、弁当喰ふ間も惜しみ、飯より好とは嘆いた事)
・モウ初まるか /\とまつて居る 初日の幕もはてしないもの
・國ゞのめずらしい名物名産 ミやげにすれバ人の賞観
・芝居ゆきの女子ハちょこ/\ はしりする風俗のわるさ(芝居行の女子は、ちょこちょこ走りする風俗の悪さ)
・気ばらしにミる芝居の中で 気をつかして難義するもの
・長い場のまくのしまるまで 小べんこらへる人も気のどく(長い場の幕の閉まるまで、小便こらへる人も気の毒)
前回のブログといい読めるのがすごいです!
私にはたった200、300年そこらでも外国の言葉と同じです笑
掛け合いおもしろいですね。個人的には旅好きの方が若干分が悪いように思いました(^^)
最後が生理現象を我慢するにもっていくのが面白いですね。確かに重要な問題ですけど。
遅生さんの現代語読み下し文や解説の重要性を痛感します。
それにしても、よく読めますね!
「毎晩枕元に置いて、目を通してから眠ることを一か月くりかえすと」「少しずつ意味がとれるようになってきます」とのことですが、私がやっても、そうはならないような気がします、、、(><)
違うのは、自分の足で歩いてどこへも行き、旅をすることでしょうか。
こういう軽妙なやり取りは憎めませんね。
私も、最初見た時はほんとにチンプンカンプンです。でも、書き手のクセがあるのですね。陶磁器でいえば、窯や時代の特徴や様式に相当するでしょうか。ジー――――――ッと眺めていると、何となくわかってきます。それを繰り返すうちに、勘みたいなものも(^.^)
昔は現代のような娯楽の種類が少なかったこともあるのでしょうか、平安時代辺りから言葉遊びが始まり、江戸時代になると世界的に識字率の高い日本ではいろんな言い回しや反論などが「言葉遊び」の文化として、「算額」とともに最高に発達していてるようです。
ただ、遅生学芸員さんの解説がないと、すんなりとは理解できない勉強不足が残念です。
時代が変わっても、ちょっとした知識をひけらかしながら、言葉をたたかわすのは、人間らしい営みなのだからでしょう。
学芸員はまだまだ力不足、いっそう精進せねばなりません(^^;
リコメンとありがとうございます。