以前のブログで、大きな長崎螺鈿広蓋を紹介しました。
幅 41.7㎝ x 長 60.1㎝ x 高 13.2㎝
漆黒の中に、花鳥が浮かんでいます。
大きな物が、畳の上にデンと居座ったままなので、早く何とかとの御催促。
ところが、この品が入っていた箱が見あたりません。
ひょっとして粗大ごみに出されたか?と疑ってみたのですが、こんな大きな物なら目につくはず。
悶々としながら、半年が過ぎてしまいました。
どーせコロナで出かけることもないし・・・・ガラクタの整理をしていると、片隅に古びた箱があるではありませんか。
自分で置いておいて、忘れていました。完全に記憶がとんでいます(^^;
45x64x15㎝
巨大な文字で、
「大硯蓋
七代目 文右衛門調之」
と書かれています。
硯蓋は、広蓋とほぼ同じで、祝物などを載せる台です。
蓋の裏には
「 慶應弐寅年
五月上旬英勝
普請奉行役中
調之候事 」
慶応二年五月、七代目 文右衛門英勝という人が、普請奉行の仕事をしていた時に、この品を調達したことがわかります。
慶応二年と言えば、風雲急を告げる幕末。そのさなかに、英勝さんは、長崎で何かの工事の責任者を務め、記念に螺鈿細工の大盆を買って帰ったのでしょう。
どんな人物であったのか、想像をめぐらすのも楽しいですね。
コロナ禍で家の中をウロウロすることがなかったなら、この箱は行方不明のままだったでしょう。
巣籠りの思わぬ効用でした(^.^)
今は婚礼そのものが風前の灯ですから、広蓋も無用の長物に近いです。
こういう礼法が消えていくのは淋しいですね。
螺鈿の大硯蓋のこと覚えてます。
ひろぶた(広蓋)という言い方がなつかしくて覚えてたのです。
こういういいモノは、確かに慶事に使いましたよね。
お祝いの品を載せて、上に袱紗をかけて持参したことがあります。
もう40年も前・・・今はそんなことしませんね。
ただ、毎晩見る夢は、相変わらず迷い子になる夢。早く、別の夢に変わってほしいです(^.^)
年月表記など時代がわかる物だけを集めている人がいます。それも一理あるかなと。でも、彼は、年代を彫り込んだ備前や古瀬戸の壷(贋物)によくひっかかります(^.^)
七代目 文右衛門英勝さんは、仕事で長崎に出張した折りに、記念にこれを買って帰ったんですね。
外国人だけでなく、日本人でも、この長崎螺鈿を見たら、夢心地になりますよね(^_^)
箱書きには、そんな夢のある話が詰まっていますね。
この箱がみつかってよかったですね\(^O^)/