遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

巣籠りの効用2 古文書でジグソーパズル 写本 伊勢貞丈『婚礼法式』

2020年11月21日 | コロナに負けるな

コロナが始まってからずっとやっていたことがあります。

古文書の整理です。

特に手間どったのがこれ。

160丁ほどの大部の写本です。右側に穴をあけ、紙縒りでとめてありました。

ところが、綴じてある順番が全くデタラメなのです。

頁番号はどこにもふってありません。

目次も無し。

もう、地道に、繋がった文を捜しだして、頁をつなげていくという作業を繰り返すしかありません。

これは、160ピースのジグソーパズルを解くようなものです(^^;

 

こんな感じです。

 

ところが、左頁として綴じてあったこの紙は・・・

本来は、反対の左側に穴があって、右頁にくるべきものであったのです。

裏返せば、前頁(左頁)となります。

 

『婚礼法式』とあり、この写本の最初の頁であることがわかりました。

 

こんな感じで、全体の三分の一ほどが、反対側に穴があけて綴じてありました(^^;

 

おまけに、全然関係のない、別の写本も紛れ込んでいました。

『銃備略叙』嘉永年の写本です。が、4丁のみ。

 

このように滅茶苦茶な写本の綴りを、少しずつ処理をして、最終的に、12のブロックにまとめました。

ここまでで、4か月ほどかかってしまいました(^^;

問題はここから先です。

最初と最後の部分は、すぐにわかりました。

しかし、他のブロックは、互いの前後関係が全くわかりません。どのようにも組み合すことが出来るのです(^^;

作業は、ここで完全に行き止まりました。

ヤレヤレ、4か月をムダに費やしたのか・・・・・

 

そうだ、苦しい時のネット頼み。

なんと、国会図書館デジタルに『婚礼法式』があるではないですか。

あとはもう、鼻歌まじり(^.^)

 

伊勢貞丈『婚礼法式』明和2年

 

上流階級の婚礼法について、多くの図をまじえ、非常に詳細に記述された物です。その一部を紹介します。

 

「たのミの部」から始まります。

「たのみ」とは、結納に相当する儀式。

 

座敷違棚の置物。

 

雉と鯉の置き方。大草流。

 

銚子とひさげ。

 

銚子、ひさげに付ける折形、蝶。

 

貝桶の図。

 

手箱紐の結び方。

 

「夜具の部」、こしまきの図。「とのい物」「おんそ」とも言うと記されています。

 

明和2年に、伊勢平蔵貞丈が著した『婚礼法式』の写本であることがわかります。

なお、最後の頁は、国会図書館の『婚礼法式』にはありません。

 

ところが、東博デジタルコレクションに、この最後の頁が付加した写本がありました。

   東京国立博物館デジタルコレクションより

 

寛政八年と十二年の違いがありますが、『婚礼法式』の本体部分も含め、故玩館と東博の品は、ほぼ同じです。

 

私のジグソーパズルで完成した写本と東博デジタルコレクションは、いずれも、伊勢万助貞春が、伊勢貞丈『婚礼法式』を写して、人に与えるためのものだと思われます。

東博デジタルコレクションの写本はその雛形で、相手の名が入っていません。

一方、故玩館の写本は、伊勢万助が、伊勢貞丈『婚礼法式』を写して、伊勢流礼法家、土井主税に与えた物です。

 

室町時代、将軍の命を受けて発足した伊勢、今川、小笠原の礼法は、江戸時代に入って急速に発達しました。各流派、特に小笠原流の興隆とともに、礼法を教授する礼法家が多数生まれ、混乱も生じました。

その中にあって、江戸中期、伊勢流礼法家、伊勢貞丈は、多数の文献を渉猟して、考証を重ね、礼法を根本的にまとめ直しました。博覧強記の彼の研究は、武家制度、典章、弓馬、武器武具、服飾、婚礼などの諸分野に及び、300以上の書を著したと言われています。

伊勢貞丈は伊勢流中興の祖であるのみならず、日本の礼法を語る時、筆頭にくる人物です。『貞丈雑記』『包結記』『安斎随筆』『安斎雑考』『安斎小説』『武器考証』などが有名で、そのうちのいくつかは、近年、再刊され、読むことができます。

 

伊勢万助貞春(宝暦十―文化九(1760-1813)年)は、伊勢貞丈の孫(養子の子)、土井主税は伊勢流の礼法家です。伊勢万助は、伊勢貞丈の著作の普及に努めました。

 

折形など礼法関係の資料は、故玩館コレクションの一つです。いずれ、まとめて紹介します(^.^)


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 巣籠りの効用1:長崎螺鈿の... | トップ | 巣籠りの効用3 正徳元年の... »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (Dr.K)
2020-11-21 19:28:19
またまた、凄いものが出てきましたね。
東博のものと同じですね!
東博では、このようなものも集めているんですか。
知りませんでした。

ちょっと、つまらないことで恐縮なんですが、文中の「寛永八年」とありますのは「寛政八年」のミスプリですね。
返信する
Dr.kさんへ (遅生)
2020-11-21 19:55:47
最近は、稀少な文書がデジタルで公開されるようになってきたので、非常にありがたいです。

当時の写本の技術には、目を見はるものがあります。特に、絵や図などはよく写せるものだと感心します。
まあ、コピーなどはなかった時代ですから、皆、せっせと写したのだとは思いますが。

いやー、間違えました。寛政です。いつもチェックしていただいて恐縮です。早速、訂正します(^.^)
返信する
良かったですね。 (highdy)
2020-11-21 23:00:10
私も現役の会社員時代に、ある研究ををしていて国会図書館を何度か利用したことがあります。
デジタル版が公開されるようになると、利用頻度も上がり、利便性が良くなりますね。
それにしても、このような各流派の「礼法・作法」が多数存在する日本は、世界で数少ない国ではないでしょうか? 素晴らしい国だと思います。
返信する
highdyさんへ (遅生)
2020-11-22 08:37:30
お仕事で国会図書館利用とは本格的ですね。
私はもっぱら、趣味に活用していします(^^;

昔は、貴重資料といえばマイクロフィッシュしかなく、解読が大変でした。デジタルになって、本当に有難いです。

江戸時代には、礼法をはじめ、いろいろな文化が栄えました。やはり、平和な時代が長く続いたからだと思います。
返信する
Unknown (tkgmzt2902)
2020-11-22 23:07:25
根気ばかりでなく、読めて、知識がないととてもできない仕事ですね。ただただ敬服しています。
決して無駄な時間ではなかったと思います。私ならとても考えられない仕事です。

小笠原流しか知りませんでした。伊勢流があるのを初めて知りました。
どの礼法に従うのか、礼法は地域に偏りがあるのでしょうかね。
返信する
tkgmzt2902さんへ (遅生)
2020-11-23 11:16:46
ずっと放ってあった物をやっと、という所です。ところが、他にも放ってある物はどっさりと残っています。もう、時間切れですね(^^;

江戸時代に小笠原流が主流になった理由はよくわかりませんが、貴族や上流武士の礼法を、庶民にも受け入れやすいものにしてきたからではないでしょうか。
車でいえばトヨタ。スバルや本田がきらりと光っても、大衆受けするのは何故かトヨタ(^^;

江戸時代でも、上流階級は、伊勢や今川が主だったと思います。
ちなみに、吉良上野介は、将軍や大名に礼法を教える高家の筆頭で、今川の流れをひく吉良流でした。石高は高くなかったのですが、礼法教授の礼で潤っていたはずです。浅野内匠頭は田舎大名で、そういう仕来たりに疎かったのが、松の廊下事件の一因とも考えられます(^.^)



返信する

コメントを投稿