資源の少ない日本では、戦争を継続するために、民間から強制的に金属類を供出させました。昭和16年公布の金属類回収令です。寺の鐘も例外ではなく、大半の寺院の鐘は供出されました。戦争末期には、大晦日、お寺の鐘がならない異常な事態に至ったのです。
それから80年近く経った今、お寺の鐘は?
というわけで、お盆明けの昨日15日、岐阜県垂井町の2つのお寺を訪れました。
まず、垂井宿の中心にある本龍寺。
とても立派な鐘楼に、梵鐘が吊り下がっています。
お寺の庭の隅に目をやると
コンクリート造りの梵鐘です。高さ1m。
戦時中、鐘を供出した後、このコンクリート鐘を鐘楼に吊っていたのです。
鐘がなくては殺風景だからという理由ではなく、鐘が吊ってないと鐘楼が不安定になるからです。
当然、音は出ません。
もう一か所行きました。
山手にある祥光寺です。
ここにも立派な鐘楼と鐘が・・・
少しスリムな鐘のようですが・・・
近寄って見てみると・・・
ドラム缶です。
ドラム缶に、石とコンクリートを詰めた鐘です。
80年近くも、この鐘楼に吊られているのです。
ドラム缶の鐘と向き合うように、明治の濃尾大震災の慰霊碑が立っています。
死者7000人余の濃尾震災犠牲者を弔っています。
鐘楼のドラム缶鐘は、300万人を超える戦争犠牲者を弔い続けているのでしょうか。
戦争中の供出で、寺の鐘は音の出ないコンクリート塊に変りました。
戦後、70余年、今、町中では、音がうるさいと苦情が来るので、鐘を鳴らさないお寺が増えているそうです。
1か所は、コンクリートの鐘を記念に(?)残しているんですね。
もう1か所は、いまだにコンクリート鐘のままですか!
各地のお寺の鐘を供出した話は聞いていますが、いまでもまだコンクリート鐘が現役であることは初めて知りました。
こんなことまでして武器弾薬を調達するようでは、勝てるわけがないですよね(><)
なんとも言い難い時代ですね。声をあげて反対も出来なかったのでしょう。
鐘の音がうるさいというのはちょっと寂しいですね。
今考えれば、全くバカな事をやっていた戦時中ですが、一部の悪徳政治家や軍人だけでなく、ほとんどの日本人が戦争色に染まってしまった事が何ともやりきれない。
鐘の音を騒音としか思えない日本人がどんどん増えたら、戦争の足音も近づいてくる気がします。
ちなみに、お寺の鐘突き棒は、柔らかい音をだすために、繊維の多いシュロを使っているそうです。
子供の頃、鐘の音が聞こえたら帰ろうとか、なにかと生活の一部として、鐘の音があったはずなんですがね。
鐘の音よりももっと騒々しい音にまみれている現代こそ鐘の音を味あうべきではないでしょうか。
鐘の音は、脳のα波を刺激し、落ち着きや癒しの効果をもたらすそうです。
現代人の生活リズムがそれとあまりにもかけ離れてしまっていて、騒音に聞こえてしまうのでしょう。
もう一度、ゆっくりとしたペースを取り戻したいものです。