遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

板倉槐堂『水墨盆池図自画讃』

2023年09月09日 | 文人書画

今回の品は、幕末期の京都で勤王派として活躍した板倉槐堂の掛軸です。

 

全体、54.4㎝x191.5㎝、本紙(紙本)、41.0㎝x93.5㎝。明治。

板倉槐堂(いたくらかいどう、文政五(1822)年~明治十二(1879)年)、姓は、淡海、下坂とも):尊王攘夷派の志士。近江の医師の子として生まれ、後に、京都の薬種商・武田家に養子に入り、坂本龍馬、中岡慎太郎らと共に倒幕運動に奔走し、勤王の志士たちを経済面から支えた。明治維新後、官職に就くも、新政府と意見が合わず辞任。余生を書画で送った。

いわゆる自画讃の文人画です。

「老槐墨戯并録韓愈句」とありますから、維新政府から離れ、書画三昧の日々の一作品でしょう。

薄墨で、盆石や蓮の花が描かれています。

何やら、伊藤若冲を思わせるタッチです。

よく見ると、筋目書きのような部分も見えます。彼は画人ではありませんが、当時の文人には、このような絵をものにする素養があったのですね。

莫道盆池作不成、
藕稍初種已齊生。
從今有雨君須記、
來聽蕭々打葉聲。

言うなかれ、盆池作るも成らずと。
藕稍(ぐうしょう)纔(わず)かに種(う)えて已(すで)に斉(ひと)しく生ず。
今より雨あらば、君須(すべから)く記すべし。
来りて聴け、蕭々(しょうしょう)として葉を打つ声を。

盆で池なんかできないなんて言わないでくれ。
蓮根の端を植えたところ、もうすっかり生え揃ってきた。
今から雨が降れば君もしっかり覚えておいて欲しい。
蓮葉を蕭々と打つ雨音を聞きに来てくれ。

莫道:意、言わないで
藕:音、グウ、訓、はす、意、ハスの根。
稍:音、ショウ、訓、やや、ようやく。
纔:音、サイ、訓、わずか、意、わずかに、少し。
種:音、シュ、訓、たね、意、うえる、種まく。
須らく:意、ぜひともそうすべき
記する:意、しっかりと記憶する。

唐宋八大家の一人、韓愈(768-824)の『盆池』と題する詩の一部(七言絶句)です。
本品では、板倉槐堂は、この詩を讃にして、盆上の岩草と活けた蓮の花を描いています。

板倉槐堂は一般にはあまり知られていませんが、幕末の京都で尊王攘夷派のために、重要な役割を果たした人です。

この軸は、板倉槐堂『梅椿図』(重要文化財)です。坂本龍馬の誕生日に板倉槐堂がおくった物です。竜馬は、慶応三(1867)年十一月、京都、近江屋で中岡慎太郎と談論中に暗殺されました。当日、その部屋にこの軸が掛けられており、下部には血痕が残っています。板倉槐堂のこの軸は、いまだ謎の多いこの事件の現場に居合わせた証人なのです。

板倉槐堂はまた、龍馬と最後に会った人物とされています。

幕末の尊王攘夷運動に深くかかわり、明治となって政府に出仕したにもかかわらず、すぐに辞しています。彼にとって新政府のやり方は、自分たちの思い描いていたものとは異なっていたのでしょう。

板倉槐堂は、韓愈の詩『盆池』そしてそれを描いた墨画に自分の想いを託したのだと思います。果たして、彼は、どのような花を咲かすべく、蓮の根を植えたのでしょうか。

 


コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 巌谷一六『自作詩 『題雪日』』 | トップ | 吉田松陰!✖『二行書「不知退... »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (Dr.K)
2023-09-09 09:14:35
板倉槐堂という方を、全く知りませんでした。
板倉槐堂の描いた掛け軸は重要文化財になっているのですね!
この掛け軸と重要文化財になっている掛け軸は、絵のタッチや字体が似ていますね。
案外、文字が若々しく見えますね。もっとも、50代で亡くなっているわけですから、80代の人間から見れば、若々しく見えるのでしょうけれども。
返信する
Dr.Kさんへ (遅生)
2023-09-09 09:51:01
「老槐墨戯」とあったので、てっきり長生きした人だと思っていました。
30-40代の時に東奔西走し、燃焼し尽くしたのかもしれませんね。当時の寿命もありますが、維新後は気が抜けたようになったのでしょうか。
私も、そろそろ、遅生老人に変えた方が良いでしょうか(最初は、遅青だったです(^^;)
返信する
Unknown (クリン)
2023-09-09 20:32:45
ちせいさまがお持ちの軸は、ちょっと「富岡鉄斎」っぽいタッチで描かれていますね⤴
「龍馬・慎太郎の支援をしていたような人ならねえ、、新政府にはすぐにあきれて出ていくだろうねえ・・」ってチットも言ってました💡
重要文化財のお軸の血にコウフンですっ🐻⤴✨(天の部分に字が書いてあるのも珍しいですよね!)
返信する
クリンちゃんへ (遅生)
2023-09-09 21:12:21
確かに富岡鉄斎のタッチに似ていますね。ただ、富岡鉄斎は動、板倉槐堂は静ですね。
血染め掛軸の上の部分には、後に、海援隊士長岡謙吉が追悼文を書き入れました。なかなか曰く因縁のある軸です。
でも、重要文化財級?という気はします。
返信する
梅椿図 ()
2024-05-05 10:25:24
初めまして。実は板倉槐堂「梅椿図」の漢詩(?)の意味を調べています。先日テレビドラマで目に留まり画像検索で作品名は判明したものの、全くの素人のため近江屋事件のいわく以外分からないまま、遅生さまのブログに辿り着きました。不躾なお願いでまことに恐縮ですが、ご存じでしたら、ご教授いただけませんでしょうか?なお、失礼がありましたらご放念ください。
返信する
麦さんへ (遅生)
2024-05-05 20:17:43
コメント、ありがとうございます。

板倉槐堂の梅椿図に書かれた 「丁卯之晩秋於畏人築書屋醒蘇写」は落款です。この書画を、丁卯(慶応三年)之晩秋、畏人築書屋に於いてしたためたことを表しています。醒蘇は、槐堂の別名。

板倉槐堂『梅椿図』の上に添えられた書は、事件後、海援隊書記、長岡謙吉が書いたものです。

 自然堂直柔先生与石川清之助燈下擁爐
 而閑談寂若無人者忽有三暴客従暗中
 躍而斬之予僕雲井龍藤吉亦死之予時
 在浪華聞変而到ゝ則密坐狼藉迸
 血及幅壁当時之状可想也実慶応
  丁卯十一月十五日也
  懐山樵史 長岡恂謹誌

自然堂直柔先生、石川清之助と燈下炉を擁して閑談す。寂として人無きが若し。忽ち三暴客有り、暗中より躍りて之を斬る。予の僕雲井龍藤吉亦之に死す。予時に浪華に在り。変を聞きて到れば則ち満座狼藉、血幅壁に及ぶ。当時の状想う可き也。実に慶応丁卯十一月十五日なり。
返信する
お礼 ()
2024-05-05 22:04:24
遅生さま、早々のご返信恐縮です。
「落款」なのでどこを探しても説明がなかったわけですね、勉強不足でお恥ずかしいです。
上に添えられた書につきましても、丁寧にご説明いただき、感謝いたします。
お手間を取らせてしまい申し訳ありません。

皆様方の絵画や骨董などについての交流とても素敵ですね。

この度は、まことにありがとうございました。
返信する

コメントを投稿