遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

巌谷一六『自作詩 『題雪日』』

2023年09月07日 | 文人書画

今回は、明治の能筆家、巌谷一六の書です。

全体、63.7㎝x191.5㎝、本紙、47.5㎝x156.7㎝。明治。

自作詩と思われる五言絶句が書かれています。

巌谷一六(いわやいちろく、天保五(1834)年ー明治三八(1905)年):近江国(滋賀県)出身の書家、漢詩人、官僚・政治家。字は誠卿。能書家として名高く、日下部鳴鶴、中林梧竹とともに明治の三筆と称される。一六居士はその号。別号に迂堂、古梅、金粟道人などがある。児童文学の創始者とされる巖谷小波(いわやさざなみ)はその子息。

閑邉之一 『題雪日』

積雪静前堂
寒泉烹一掬
万籟与心虚
夜聰聞折竹

積雪、前堂静なり。
寒泉、一掬を烹く。
万籟にして心虚なり。
夜聰く、竹の折れるを聞く。

雪が積もり、前にある広間はシンとしている。
泉の澄んだ水を掬い、お湯をわかした。
風がざわめき物音がして、心細い。
夜、竹の折れる音が聞こえ、すぐに目がさめる。

前堂(ぜんどう):前にある広間。
寒泉(かんせん):澄みわたった泉。
烹(ほう):にる、たく。
一掬(いっきく):ひとすくい。 
万籟(ばんらい):。種々のものが、風に吹かれて立てる音。
心虚(しんきょ):びくびくしている、心細い。
夜聰(よざと):夜中に目ざめやすいこと。

親しみやすい詩だと思います。「閑邉之一」とあるので、身近な情景を詠んだ漢詩の始めの部分でしょう。「題雪日」(雪の日に題す)と名付けてみました。雪の一日を描く、という意味です。
雪が積もった穏やかな朝から、次第に風が吹き出して、竹が折れる夜までの情景を描き出しています。時をおって変わる雪の日の情景と人の心理が、さらりとした描写で表現されています。さすが、漢詩人、巌谷一六と言うべきでしょうか。

今はあまり雪が降りませんが、私の小さい頃は、こんな雪の一日が時々ありました。朝起きてみると一面の銀世界、静かな野をわくわくして歩き回りました。その後、だんだん吹雪いてきて、夜は風が騒ぎ、なかなか寝つけられなかったのを覚えています。

巌谷一六は、はじめ、藩医として水口藩に仕えていました。が、幕末、勤王の志士と交わり、明治維新後は政府に出仕し、官吏として活躍し、後には、貴族院議員にもなりました。一方で、学問、諸芸に秀でており、特に、書では一家を成し、日下部鳴鶴、中林梧竹とともに、明治の三筆と言われました。明治維新以降、唐の顔真卿、元の趙子昂の書を、さらに来朝した楊守敬に六朝書法を学んで、独自の書風を確立しました。右肩下りの新奇な書体が特徴的です。今回の品は、その特徴をそれほど備えてはいませんが、随所にその片鱗を見ることができます。

明治には、能書家が続々と生まれました。先の明治の三筆の外にも、副島正則を始めとして、勝海舟、山岡鉄舟、西郷南洲、大久保利通、伊藤博文など、幕末ー明治にかけて活躍した人たちは、いずれも個性豊かな書を残しています。巌谷一六もそのうちの一人です。
日本の近代書は、激動の時代に大きな変化をとげたのです。


「書は人なり」とはよく引かれる言葉ですが、同時に、「書は時代なり」と言えるのではないでしょうか。

ps. 明治の三筆のうち、日下部鳴鶴と巌谷一六の書を紹介しました。残るは、中林吾竹です。が、彼の書は、六曲一双屏風の一曲に書かれているので、この品を奥から出すのは今は無理です。涼しくなってからにします(^.^)


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (Dr.K)
2023-09-07 10:21:11
巌谷小波は、その名前程度は知っていましたが、巌谷一六は、そのお父様でしたか。

明治の三筆の全員分を所持しているのですね!
遅生さんは、実にいろんな分野のものを集めていますね。それに、それぞれについて、よく調べられていますね(^_^)

六曲一双屏風を出してくるのは大変ですね。大汗をかきますよね。
でも、やっと、涼しくなってきたようですので、近日中のアップを期待してお待ちしております(^-^*)
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Dr.Kさんへ (遅生)
2023-09-07 11:26:30
私がガラクタ集めを始めた頃はそうでもなかったですが、バブルを境にして骨董界も大きく様変わりしましたね。今、たいていの書はほとんど市場的価値がありません。ですから、集めようと思えば楽です。
が、妙なもので、そうなると熱中することもなくなります。そんなわけで、ここで紹介している、何を今さらの物たちは、ずいぶん以前に入手したものばかりです。しかも、ほとんど目を通してません。ブログ書きが、真剣に見る唯一の機会です。
中林吾竹の書も、中味はほとんど記憶にありません(^^;

巌谷小波の方が一般には知られていますね。軽妙な絵も得意でした。土地の有力者の所を転々としながら、全国を旅していたようです。その際、世話になった家には、作品を残していきます。この辺にも来たと思うのですが、ウチにはありません。素封家のWさんの所に逗留したのでしょう。しかし、その家も今は無人(^^;
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Unknown (cforever1)
2023-09-07 20:27:43
「書は時代なり」・・名言が出ましたね💎✨✨✨✨まさにおっしゃる通りです⤴️✨✨
クリンたち、いわやさざなみが筆書きした「巌谷」という2文字だけ見たことがあるのですが、その字が、力の入れ具合など一六パパの字にどことなく似ているから面白いなとこのたび思いました💡書は血脈ですね🐻
(※「巌谷小波ってやっぱりお坊っちゃんだったんだね。道理で・・」って、うちのチットも納得しております❗)
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クリンちゃんへ (遅生)
2023-09-08 07:45:47
巌谷小波には、父、一六の存在が生涯にわたって大きくのしかかっていたのではないでしょうか。今は小波の方が一般には有名ですが、当時はその逆。ビッグな父の対極にある児童文学や俳句に入れ込んでいったのもわかる気がします。

書は血脈!であってほしいです。父はなかなかの達筆でしたが、私は似ても似つかぬ駄筆(^^;
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