遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能画24.扇面形奈良絵『羽衣』『道成寺』等12枚

2022年07月21日 | 能楽ー絵画

屏風剝しと思われる、扇面形奈良絵、12枚です。

時代は江戸後期、大きさは、長さ40㎝、幅16cmほどです。

奈良絵とは、もともと、室町時代から江戸時代にかけて多く作られた一般向けの絵本、奈良絵本の挿し絵の総称です。その後、絵本だけでなく、屏風絵などにも、泥絵具を使った素朴な絵が多く描かれるようになり、現在は、これらも奈良絵と呼ばれています。今回の品はその一つです。

①『羽衣』

シテが、松の木の下で、天女の舞いを舞っています。

②『道成寺』

鐘入りの前、里の女が乱拍子を舞います。緊張した長~い沈黙(間)の後、小鼓方がこの世のものとは思われない異様な掛け声をかけ、ポンと打ちます。同時に女は、一歩、歩をすすめます。この時の足の様子が、稚拙な描写ではありますが、描かれています。

 

③『鉢木』

一夜の宿を求めてきた旅僧(北条時頼)のために、落ちぶれた主人、佐野常世が手塩にかけた盆栽を伐って薪とし、暖をとる場面です。

 

④『船弁慶』それとも『安宅』?

烏帽子を被った女は、『船弁慶』の前シテ、静御前ですね。西国へ落ちていく義経たちに同行を拒まれた静が、別れの舞いを舞う場面です。右側は弁慶。ところが、弁慶は、読み物を読んでいます。これは、『安宅』で勧進帳を読む場面です。しかし、そこに静がいるはずはありません。一方、『船弁慶』では、弁慶は、静に烏帽子を渡すだけで、読む場面はありません。何とも奇妙な絵です(^^;

⑤『忠度』

旅僧の前で、若武者が舞いを舞っています。後ろに、短冊がついた矢が見えます。これは、『忠度』の後半、一の谷の戦いで討たれた平忠度の亡霊が現れ、自分の和歌が、『千載集』の中では「詠み人知らず」となってしまったことを嘆いている場面です。この時、忠度は烏帽子を被っているはずなのですが、絵では、髪を振り乱した敗将の姿になっています。もっとも、この方がリアルかも知れません(^^;

 

⑥~⑫は、狂言の舞台を描いた絵だと思われます。演目はわかりません。

 

 

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能画23.巻物断簡『鉄輪』・『大會』

2022年07月19日 | 能楽ー絵画

今回は、何だかわけがわからない能絵です。

32.7㎝x48.2㎝。作者不詳。江戸中期。

「鉄輪」と書かれていますから、能『鉄輪』ですね。能舞台を描いたタイプBの能画です。

しかし、それらしい人物は見当たりません。

『鉄輪』は、不実の夫に対して、女が、恨みのあまりに鬼女となって襲いかかるも、陰陽師によって退けられ、いったん、姿を消すという物語です。登場人物は、女(前シテ)、女の生霊(後シテ)、安倍清明(ワキ)、夫(ワキツレ)、社人(狂言師)です。

右側に打杖を振り下ろさんとする人物が描かれています。これが、怨みのあまりに鬼女となった女かと最初は思いました。しかし、面が般若系ではない(むしろ男面)し、蝋燭を立てた五徳を頭にのせてもいません。また、乘っている台には、祈祷のための設えがありません。これは、どう考えても、『鉄輪』ではないですね(^^;

もう一度、書かれている文を読んでみました。 

鉄輪

思ふ中をはさけられし
   恨の鬼と成て人におもひしらせん
                うき人に思ひしらせむ

これは、『鉄輪』の前半の最後、貴船神社の社人から、憤怒の心をもつならば、忽ち鬼神になることができるという神のお告げを伝えられた時の、女の言葉です。そして後半、女は鬼となって、夫に怨みを晴らしに来るのです。

この男は、狂言師が演ずる社人ですね。

通常、男は直面なのですが、面を着けたように描かれています(理由不明)。

この左側には、怪しげな女(前シテ)が描かれていたはずです。

おそらく、さらに続いて、『鉄輪』の後半部も描かれていたでしょう。般若面(橋姫か生成)を着け、打杖をもった鬼女、安倍清明、そして夫です。

肝心の所が欠けています(^^;

 

じゃあ、右に描かれているのは?

一畳台の上で打杖を振りかざしています。頭には輪冠が。

これは、能『大會』のラストシーンですね。

あらすじ】比叡山の僧が修行していると山伏姿の天狗が現われ、以前命を助けられたお礼に望みをかなえてやると言う。僧の望みにより、釈迦が霊鷲山で行なった説法の様を現わし、僧は思わずありがたさに合掌礼拝するが、怒った帝釈天が天下って天狗の魔術を破り、天狗をこらしめる。(「精選版 日本国語大辞典」より)

この能は、有頂天になった天狗(シテ)が、帝釈天(ツレ)によって戒められるという、チョッとおまぬけな天狗の物語です。

打杖を振りかざしているのは、主人公の天狗ではなく、帝釈天ですね。この絵の右には、癋見面を着けた天狗が、打ち据えられた姿で描かれているはずです。が、切り取られてしまってます(^^;

 

今回の品は、巻物断簡の一つです。が、もう少し内容を考えて切断してほしかったですね(^^;  

絵は上等、書も一級ですから、本来は相当立派な能絵巻物だったと思います。それだけに、『鉄輪』がどのように描かれていたのか知りたいところです。でも今となっては、それもかなわぬ夢巻物(^..^)

 

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能画22.山田北雲、二曲屏風『小鍛冶』

2022年07月17日 | 能楽ー絵画

日本画家、山田北雲による二曲屏風、『小鍛冶』です。

高さ175.2㎝、幅180.8㎝。大正時代。

【山田北雲】(やまだほくうん) 明治、大正に活躍した日本画家。詳細は不明。

能『小鍛冶』の舞台を描いた能画です。

【あらすじ】帝が夢にみた不思議な剣を打たせるため、勅使は三条の小鍛冶宗近(ワキ)に刀剣新造を命じます。宗近は、相槌を打つ名手のいないのに困り果て、稲荷明神に参詣します。すると、童子(前シテ)が現れて、古今東西の名剣の霊験を語り、相槌を約束して稲荷山に消えます。 宗近が家に戻り、鍛祭壇を整えて神に祈りを捧げていると、稲荷明神(後シテ)が現われ、相槌を打ち、名剣、小狐丸が完成します。稲荷明神の霊狐は、雲に乗り、稲荷山へ消えて行くのでした。

三条宗近は鍛治祭壇をしつらえ、刀剣を打ちます。

すると、稲荷明神が現れ、

相槌を打ちます。

稲荷明神の頭には狐。

作者、山田北雲は、今では、ほとんど無名の画家ですが、画力は確かなようです。

私がこの屏風を購入したのは、能絵の珍しさからです。『小鍛冶』自体は、多く描かれている画題です。この絵の特徴は、囃子方が大きく描かれていることです。

元々、能画では、能のストーリー展開に直接関係しないので、囃子方が取り上げられることはあまりありませんでした。特に明治以降の能画は、シテに照準をあてたものが主流となり、囃子方の存在は非常に薄くなりました。

これには、能楽界に厳然として存在するヒエラルキー(シテ方>ワキ方>囃子方>狂言方)も影響していると思います。

そんな能画の中で、囃子方を浮かび上がらせたこの絵は異色の一品と言えるのです。

笛(能管)方:

鼓(小鼓)方:

鼓(大鼓)方:

太鼓方:(出番(キリ)が来るまで控えている):

作者の山田北雲がどのような画家なのかは不明です。

近代日本画には、忘れられ、発掘を待っている絵師たちの品が、まだまだ多くあるのだと思います。

 

 

 

 

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能画21.河合英忠『張良』

2022年07月15日 | 能楽ー絵画

ここ2回、江戸時代の能画『張良』を紹介してきました。

今回は、近代の日本画家による『張良』を紹介し、江戸画と比較して見ます。

全体、33.9㎝x181.5㎝。本紙(紙本)、30.8㎝x115.0㎝。明治ー大正。

【可合英忠】(かあいえいちゅう) 明治8八(1875)年―年大正十(1921)年 。明治、大正に活躍した日本画家。歴史画、能画を得意とした。

この絵を初めて見た時には、一体何が描かれているのかわかりませんでした(^^;

正装した武人が立ち上がろうとしています。

端には、沓がころがっています。

こうなれば、もう『張良』しかありませね(^.^)

でも、絵の構成が特異です。絵画『張良』ではめったにありません。黄石公から見たアングルの絵です。ワイエスのクリスティーナを逆向きにしたような(^^;

画面には他に何もない(黄石公さえも)のですから、これはもう、能舞台を描いた絵、しかも、明治以降盛んになった、主人公に焦点を当てたタイプBの能画に違いない、と思い込んでいたのです・・・が、よく見ると左端に黒い大きなシミのようなものが、さらに、その下には薄く棒のようなものが描かれているではありませんか。

写真を加工すると、もう少しはっきりと浮かび上がります。

これは、どうやら、橋の欄干のようですね。黒いシミのようなものは、欄干と橋げたをとめる金具?

橋げたはずーっと上まで伸びています。どんな橋なんでしょう。

いずれにしても、橋が描かれていることは重要です。なぜなら、能舞台には橋などないからです。黄石公は、橋に見立てた台の上に座しているだけです。

かといって、この絵には、川の流れがどこにも描かれていません。実際の能舞台のように、張良の向こうに沓が投げられているだけです。

ということは、この絵は、能の情景を描いたタイプAの能画でもなく、能舞台を描いたタイプBの絵でもなく、両者を折衷したものということになります。

中途半端でありながら、何となくシュールなこの絵を引き立てているのは表具です。天地、中まわし、柱など絵を取り囲む部分が、縞模様の粋な布で仕立ててあります。さらに、軸先には螺鈿の装飾が。

地味な掛軸ですが、なかなかの趣味人の持ち物であったのかも知れません。

 

江戸中期。勝部如春斎『張良』。

江戸後期、土佐光孚『張良』。

大正時代、可合英忠『張良』。

これまで3回にわたって、異なる時代、作者の『張良』を見てきました。これら3つの絵が私の手もとにあったのはたまたまですが、こうやって並べてみると、時代の違いが何となく表れているような気がします。

 

 

 

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能画20.勝部如春斎『張良』

2022年07月13日 | 能楽ー絵画

先回のブログで、江戸後期土佐派の絵師、土佐光孚による能画『張良』を紹介しました。例によって、『張良』の江戸時代の絵は他にもあったはず、と引っ張り出したのが今回の品です。狩野派の絵師、勝部如春斎による『張良』(双幅)です。

 

全体(の半分)、一幅、62.0㎝x187.3㎝。本紙(紙本)、51.4㎝x129.3㎝。二幅対。江戸中期。

【勝部如春斎】(かつべ じょしゅんさい)享保六(1721)年ー天明四(1784)年。江戸中期、上方で活躍した狩野派絵師。近年再評価がすすむ。

江戸中期の狩野派絵師、勝部如春斎の墨絵『張良』です。

先回の土佐光孚『張良』と同じ場面ですが、今回の品は能舞台の一場面ではなく、物語の情景を描いています。

馬に乗った黄石公が沓を川に落とし、それを激流から取り戻した張良が沓をかかげているところです。

狩野派らしい筆致で、

黄石公、張良、そして馬が描かれています。

黄石公の左足が裸です。やはり、左の沓を落としたのですね。

作者、勝部如春斎は大阪周辺で活躍した絵師ですが、一般に広く知られてはいません。私も、この品を入手するまでは知りませんでした。資料が少なく、真贋を云々する段階にはないのですが、この絵から伝わる画力から、真と信じたいです(^.^)

江戸時代には、全国各地に、このようにローカルに活躍した絵師がたくさんいたのですね。

 

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