今日、下北の大間まで出かけました。
津軽はよく晴れていたのに、
平内・小湊あたりに来た途端、
雨が勢いよく降り出して、
この小さな旅の大変さを
予感させました。
この、大間への旅の目的はただ一つ。
観光ではなく、
「大間原発工事再開」の
とんでもないニュースへの怒りを胸に
かねてから行きたかった
「あさこはうす」への訪問です。
浪岡~青森市~平内町~野辺地町~横浜町
~むつ市~大畑町~風間浦村~大間町
行きは4時間、帰りは3時間ほど。
横浜町では、風力発電の大きさに
唖然としながら、
横を通ると、倒れたら怖い・・・
こんな感覚に捕らわれましたね。

横浜町付近で連れが昼食を摂りました。
実はわたしは、最近体調不良で、
今日の旅もためらいましたが、
またとないチャンスに惹かれて出発。
しかし、
案の定、途中で少し調子悪くなり、
昼食を抜きました。
何とか具合もよくなってきて、
それからむつ市を目指して出発。
しかし、最近買った「ナビ」に
すべてを委ねたのが間違いの元。
なんと、「ナビ」は、
クネクネ、クネクネ、
国道4号線をひたすら導く・・・
連れは、ナビに従順に従い、
山の奥へ、奥へ。
結局、「恐山」近くを通り、
「薬研温泉」近くを通り、

恐山の近くの川には、硫黄が立ちこめ、
ゆで卵の匂いがたまらなくて。

わたしの体調は元の木阿弥。
本来ならば、1時間弱で大間に行けるところを
30分以上もオーバーして、
わたしはフラフラ・・・。
片道4時間でようやく大間に着きました。

途中の風間浦村の海は、悪天候で荒れ、グレーでした。

「大間原発はどんな所に建っているのだろうか?」
わたしの第一の関心事でした。
多分、主要道路からかなり奥まった所。
そして、人里離れた民家のない所・・・と。
皆さん!
これは全くの勘違いでした!
メイン道路から1分も行けば着く、
民家もすぐ近くに何軒もある。
こんな危険なモノを、
人間の生活圏に造るなど!
もってのほか!
わたしはこれに一番びっくりしましたね。
地域の方々には、「あさこはうす」など
知られていないのでは・・・
この危惧は、全くの誤解でした。
「はうす」への道がわかりにくいので、
ご近所さんに訊いてみたら、
すぐに教えていただけました。
それに、道路工事の方にも尋ねたら、
その方さえも詳しく教えていただけました。
これにもかなり驚きました。
知られています。
どなたにも。
やっとたどり着いた「あさこはうす」。
感動モノでしたね。
「あさこはうす」は原発敷地と接しています。
その「はうす」の入り口には小屋があって、
電源開発(Jパワー)の人が、
いつも「監視」していて、
どのくらいの人数、台数があさこはうすを
訪れるか数えているんです!
私たちは車ですから、
かなりインパクトを与えたと思います。
普段は郵便屋さんが通るくらいですから。

原発と「はうす」の境目には、
こうして塀を張り巡らしています。
しばらく行くと、看板が。

あ、ここだ!
そして、やはり目の前には

工事を再開させた原発施設が。
「あさこはうす」の敷地には、2台の風力発電機。


これで、電気をまかないます。

「あさこはうす」はログハウスです。
お庭には花がきれいに咲いていました。


ここで、「あさこはうす」を知らない方のために。
「あさこはうす」が建設されるずっと前、
熊谷あさ子さんという女性がおられました。
熊谷さんは、電源開発社に敷地を売って欲しいと
言われ続けました。
しかし、危険な原発を大間に造らせるわけにはいかない、
と言う堅い意志を持っていました。
原発が稼働されれば、大間の新鮮で有名な
マグロ漁にも影響する。
環境にもよくない。
しかし、そんな彼女に対して、
町も、人々も、親戚も冷たくなりました。
電源開発社は、あさ子さんに多額の金銭を出して
何とか土地を取得したいと説得しましたが、
あさ子さんは応じませんでした。
残念ながら、ある日、あさ子さんは
急病で亡くなりました。
その遺志を受け継いで、ここに
「あさこはうす」を建てたのが、
娘の小笠原厚子さんでした。
ここに民家があれば、
法律上、原発建設も、稼働もできないはず。
そこで、「あさこはうす」にはがきなど
手紙を書いて出しましょう!と言う
提言が成されて、現在は全国から
応援はがきが送られています。
実は、これには意味があります。
「あさこはうす」に来たはがきなどを
郵便屋が運ぶ。
と言うことは、
日々、この通路を利用していることになり、
電源開発も、そのために通路を閉鎖できない。
会社側の監視は、このことのために
人数を数えていて、上に報告しているのです。
震災以来中断していた工事は、
政府のいい加減な決定で、再開。
「あさこはうす」は危機を迎えています。
是非、「あさこはうす」に手紙を!はがきを!
「あさこはうす」のホームページはこちらから

帰りは、ナビに頼らず、
もっとスムーズで短時間で
むつ市まで行けるコースを通り、
片道3時間ちょっとで帰れました。

途中、夕暮れの空がきれいでした。
道々、下北半島の寂れた町の風景を見ながら、
お金が下北の人たちの心を惑わしたのだと
つくづく感じて、罪作りだなと思いました。
実際、寂れた町の中に
不釣り合いの大きな施設や学校など、
原発マネーのばらまいた結果が、
何とも言えない不気味さを醸しています。
まだまだこうした闘いは続く。
家に戻ってから聞いたニュースからは、
「原子力規制委員会」では、
危険性などの判断はしても、
原発を稼働させるかなどは、
自分たちの権限ではない・・・
と言っていましたよね。
国や電力会社が稼働の判断を下すのであれば、
規制委員会がいくら危険を訴えたところで、
なんになるのでしょうか?
原発2030年ゼロ
これはやはりうそでした。
再処理施設の稼働も
安易に容認したことの矛盾に
よくあらわれています。
わたしは、野田内閣は
「ドジョウ」なんかではなく、
「二枚舌」の「ヘビ内閣」と言いたい。
狡猾で、口だけうまい、
聖書のサタンのように思えて。
原発反対の国民の多くの声を
まともに聞く政府が樹立されるまで、
これからが闘いですよね。
声を上げ続けましょう!
あさ子さんを見習って、
権力に屈することなく、
ひたむきに。
ここあでした。
津軽はよく晴れていたのに、
平内・小湊あたりに来た途端、
雨が勢いよく降り出して、
この小さな旅の大変さを
予感させました。
この、大間への旅の目的はただ一つ。
観光ではなく、
「大間原発工事再開」の
とんでもないニュースへの怒りを胸に
かねてから行きたかった
「あさこはうす」への訪問です。
浪岡~青森市~平内町~野辺地町~横浜町
~むつ市~大畑町~風間浦村~大間町
行きは4時間、帰りは3時間ほど。
横浜町では、風力発電の大きさに
唖然としながら、
横を通ると、倒れたら怖い・・・
こんな感覚に捕らわれましたね。

横浜町付近で連れが昼食を摂りました。
実はわたしは、最近体調不良で、
今日の旅もためらいましたが、
またとないチャンスに惹かれて出発。
しかし、
案の定、途中で少し調子悪くなり、
昼食を抜きました。
何とか具合もよくなってきて、
それからむつ市を目指して出発。
しかし、最近買った「ナビ」に
すべてを委ねたのが間違いの元。
なんと、「ナビ」は、
クネクネ、クネクネ、
国道4号線をひたすら導く・・・
連れは、ナビに従順に従い、
山の奥へ、奥へ。
結局、「恐山」近くを通り、
「薬研温泉」近くを通り、

恐山の近くの川には、硫黄が立ちこめ、
ゆで卵の匂いがたまらなくて。

わたしの体調は元の木阿弥。
本来ならば、1時間弱で大間に行けるところを
30分以上もオーバーして、
わたしはフラフラ・・・。
片道4時間でようやく大間に着きました。

途中の風間浦村の海は、悪天候で荒れ、グレーでした。

「大間原発はどんな所に建っているのだろうか?」
わたしの第一の関心事でした。
多分、主要道路からかなり奥まった所。
そして、人里離れた民家のない所・・・と。
皆さん!
これは全くの勘違いでした!
メイン道路から1分も行けば着く、
民家もすぐ近くに何軒もある。
こんな危険なモノを、
人間の生活圏に造るなど!
もってのほか!
わたしはこれに一番びっくりしましたね。
地域の方々には、「あさこはうす」など
知られていないのでは・・・
この危惧は、全くの誤解でした。
「はうす」への道がわかりにくいので、
ご近所さんに訊いてみたら、
すぐに教えていただけました。
それに、道路工事の方にも尋ねたら、
その方さえも詳しく教えていただけました。
これにもかなり驚きました。
知られています。
どなたにも。
やっとたどり着いた「あさこはうす」。
感動モノでしたね。
「あさこはうす」は原発敷地と接しています。
その「はうす」の入り口には小屋があって、
電源開発(Jパワー)の人が、
いつも「監視」していて、
どのくらいの人数、台数があさこはうすを
訪れるか数えているんです!
私たちは車ですから、
かなりインパクトを与えたと思います。
普段は郵便屋さんが通るくらいですから。

原発と「はうす」の境目には、
こうして塀を張り巡らしています。
しばらく行くと、看板が。

あ、ここだ!
そして、やはり目の前には

工事を再開させた原発施設が。
「あさこはうす」の敷地には、2台の風力発電機。


これで、電気をまかないます。

「あさこはうす」はログハウスです。
お庭には花がきれいに咲いていました。


ここで、「あさこはうす」を知らない方のために。
「あさこはうす」が建設されるずっと前、
熊谷あさ子さんという女性がおられました。
熊谷さんは、電源開発社に敷地を売って欲しいと
言われ続けました。
しかし、危険な原発を大間に造らせるわけにはいかない、
と言う堅い意志を持っていました。
原発が稼働されれば、大間の新鮮で有名な
マグロ漁にも影響する。
環境にもよくない。
しかし、そんな彼女に対して、
町も、人々も、親戚も冷たくなりました。
電源開発社は、あさ子さんに多額の金銭を出して
何とか土地を取得したいと説得しましたが、
あさ子さんは応じませんでした。
残念ながら、ある日、あさ子さんは
急病で亡くなりました。
その遺志を受け継いで、ここに
「あさこはうす」を建てたのが、
娘の小笠原厚子さんでした。
ここに民家があれば、
法律上、原発建設も、稼働もできないはず。
そこで、「あさこはうす」にはがきなど
手紙を書いて出しましょう!と言う
提言が成されて、現在は全国から
応援はがきが送られています。
実は、これには意味があります。
「あさこはうす」に来たはがきなどを
郵便屋が運ぶ。
と言うことは、
日々、この通路を利用していることになり、
電源開発も、そのために通路を閉鎖できない。
会社側の監視は、このことのために
人数を数えていて、上に報告しているのです。
震災以来中断していた工事は、
政府のいい加減な決定で、再開。
「あさこはうす」は危機を迎えています。
是非、「あさこはうす」に手紙を!はがきを!
「あさこはうす」のホームページはこちらから

帰りは、ナビに頼らず、
もっとスムーズで短時間で
むつ市まで行けるコースを通り、
片道3時間ちょっとで帰れました。

途中、夕暮れの空がきれいでした。
道々、下北半島の寂れた町の風景を見ながら、
お金が下北の人たちの心を惑わしたのだと
つくづく感じて、罪作りだなと思いました。
実際、寂れた町の中に
不釣り合いの大きな施設や学校など、
原発マネーのばらまいた結果が、
何とも言えない不気味さを醸しています。
まだまだこうした闘いは続く。
家に戻ってから聞いたニュースからは、
「原子力規制委員会」では、
危険性などの判断はしても、
原発を稼働させるかなどは、
自分たちの権限ではない・・・
と言っていましたよね。
国や電力会社が稼働の判断を下すのであれば、
規制委員会がいくら危険を訴えたところで、
なんになるのでしょうか?
原発2030年ゼロ
これはやはりうそでした。
再処理施設の稼働も
安易に容認したことの矛盾に
よくあらわれています。
わたしは、野田内閣は
「ドジョウ」なんかではなく、
「二枚舌」の「ヘビ内閣」と言いたい。
狡猾で、口だけうまい、
聖書のサタンのように思えて。
原発反対の国民の多くの声を
まともに聞く政府が樹立されるまで、
これからが闘いですよね。
声を上げ続けましょう!
あさ子さんを見習って、
権力に屈することなく、
ひたむきに。
ここあでした。