馬鹿なものは
悲しみというものを
知らねばなりません
つらいということと
かなしいということは違うのです
つらいということは
いやだといってすべてを拒否しますが
かなしいということは
痛いと思いつつも
心に痛みを受け入れるのです
悲しいけれど
いいと
それが
つらいことに耐えていこうという
心に成長していくのです
自分が馬鹿になってもいい
それで愛する人がよくなるならと
そう思うことができるようになれば
心の蓋が開き
人間は神を
垣間見ることができるのです
それはまだ
かすかな気配だが
とても遠い声だが
確かに何かが聞こえる
愛の遠いささやきが聞こえる
それを
感性の黎明と言います
あなたの霊魂が
麗しい神の愛を
かすかにでも感じられるようになった
それが
悲しみを知るということなのです
つらいことになれば
何でもつらいつらいと言って
拒否していてはいけません
悲しいけれどいいと言って
みんな受け入れてみなさい
涙があふれるでしょう
切ないまでに
何かが高まるでしょう
それが不思議な愉楽だということに
あなたは妙な感動をするでしょう
滅びていくことが
美しいと思うとき
自然の手があなたに伸びている
美しいものになるための種を
あなたの中に植えにくるのです
つらいと思うより
かなしいと
思いなさい