写真:鹿島神宮・奥の院
東北の美しい海岸線が失われたこと。代々住み続けてこられた人々の命が失われたこと。
日本の大切な宝物が津波によってサラワレてしまいました。
縄文の時代、または、それ以前の古層の時代から積み上げてきたその土地及び民俗が津波によって失われたことは、日本人である私自身のアイデンティティにとっても大きな大きな損失である、という感情が芽生え始めました。
ここ10年、事あるごとに奈良に行き、それでも歩いていないところはまだまだたくさんあります。
そんな思いが、私を東北に足を向かせない理由の一つでもありました。
歩いておけばよかった。。。と、今更思っても遅い話です。
母の母のご祖先が江戸時代まで住んでいた岩手は、自分自身のDNAにどこか「誇りのようなもの」を潜ませていると感じていただけに、潜在的過去の記憶がもぎ取られたような感覚が意識化されてきています。
柳田國男が東北の海岸を船と徒歩で隅々まで歩き、その土地と人の様子を書き記した本をこれから読もうと思います。
失ってからでは遅いですが、今まで語り継がれてきた日本の民俗をここで風化させてはならない、という気持ちが沸々と湧き出ています。
そういえば、気仙沼の言葉で書かれた気仙語の聖書、というのもあります。
これから、東北の民俗学を専門にされている方々の語りに耳を傾け、太平洋の海に住まう人々の声を聞いていきたいと思います。それが、「言の葉」ことのはを慈しむ日本人の役目であろうと、私は感じています。
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