五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

私は私であり、私は皆ではない

2011年03月31日 | 第2章 五感と体感


「写真:香取神宮」


ようやく事態を受容し公表することができた日本のリーダー。
殿様体質某電力会社リーダーが自分の心と身体の自己管理もできないという現実。

私が見えてくる上記記載の現実は、あくまでも私にとってのリアリティであるので、他の皆様とは差異があるかもしれませんのでご了承ください。

大震災から21日目。

インターネット、ラジオ、新聞、テレビを通して情報を入手する中、日本人特有の表現が気になり出してきました。

それは、語る個人の使う主語が「私」ではなく、「日本人」もしくは「皆」を使用する傾向が強くなっている、ということです。

「私」は~である。
「日本人」又は「皆」は~である。

この表現には、大きな違いがあります。

「私は~である」・・・「私はお腹が空いている」「私はこの避難所から出て家に戻りたい」「私はもう嫌だ」「私は悲しい」「私は、今困っている」

「日本人又は皆は~である」・・・「日本人は悲しんでいる」「皆悲しんでいる」「皆、家に戻りたい」「日本人はこれを乗り越えなくてはならない」

「私」という主語を使い、自己主張し自己責任を負う表現をもともと好まないことが、日本の文化的傾向の礎でもあると解釈していますが、そろそろ、個人が「私」という主語を使うことに意識をシフトしてほしいな、と思います。

心理学的現象「as if person」(あたかも~のように)が、個人の自他混合を深くしていきます。

日本は日本です。

私は私です。

日本は今、こうである。私は今、こうである。

大震災から日が経つにつれて、これらが自己混在した悩みが主訴の傾聴が増えてきました。

私は私です。

だから、「私」を主語にして、お喋りしたいものです。

まずは、「私」自身の思考と感情と行動を大切にしていくことが、今の「私ができること」です。

そんなわけで、私は私が思う事を私の責任で書いてみました。

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