日刊魔胃蹴

暑すぎてつらい。

高橋尚子選手が現役引退

2008年10月29日 | Sports

女子マラソンの高橋尚子選手が28日、現役引退を表明しました。夕方に都内のホテルで行われた引退会見で「プロとしてファンの前に出せる走りが出来なくなった」と体力面・精神面での限界を感じたと説明していました。引退については、今年8月には自身の練習の拠点先であるアメリカ・ボルダーで、代理人に引退の気持ちを打ち明け、今月10日には所属先のファイテンで社長と会談したということです。

高橋選手の足跡を振り返ると、1997年に大阪国際女子マラソンで初めてマラソンに挑むと、98年の名古屋国際で当時の日本記録・2時間25分48秒のタイムで初優勝を果たすと、バンコクアジア大会では自らの日本記録を更新して優勝。2000年、シドニー五輪の女子マラソンで陸上女子としては初めての金メダルを獲得、その後国民栄誉賞を受賞しました。金メダル獲得後の2001年、ベルリンマラソンで2時間19分45秒のタイムを叩き出して優勝、女性選手として初めて2時間20分台を切る世界記録(当時)を樹立しました。
翌年もベルリンで連覇を達成し、マラソン6連勝と順風満帆の競技人生を送っていた高橋選手でしたが、間もなくして苦悩の日々が続きます。11月に肋骨の疲労骨折を発症して東京国際を欠場。2003年には当時の所属先だった積水化学を退社。五輪連覇を目指して出場した東京国際では、一時は2位に大差をつけながらも終盤にまさかの失速で2位。自身の連勝記録がストップし、アテネ五輪の出場を逃しました。2005年、恩師・小出義雄氏の下を離れて独立、「チームQ」を発足させた高橋選手は、東京国際で3年ぶりの優勝を果たし完全復活。北京五輪出場の前に大阪世界陸上の代表切符を獲得しようと翌年の東京国際で連覇に挑戦しましたが、土佐礼子選手との直接対決に敗れて3位に終わりました。
2007年の夏頃に右ひざ半月版の手術をした高橋選手は、今年の3月の名古屋国際に出場しましたが、9キロ過ぎに先頭集団から離脱すると、そのままペースが上がらず27位でゴール。自己ワースト記録の惨敗に終わり、北京の道が閉ざされました。

高橋選手が遂に引退のときを迎えましたか…。「Qちゃん」のニックネームで誰からも親しみ愛される存在でシドニー五輪での金メダル、東京での復活劇で国民に多くの感動と勇気を与えてくれました。あの強かった走りとQちゃんスマイルが見られなくなるのは本当に残念としか言えません。会見では涙も見せていたということで、「これで終わるんだ」という寂しさもあれば、今までの苦しみから解放されたように思えました。
北京代表になれなかった後、国内3つのレースを全て出場するという非常に無謀なプランがあったんですが、結局1つのレースも出ないことになりました。もし出ていたら、懸命に走り続けてボロボロになりながらも完走を果たすことで更に感動を与える一方で、これ以上Qちゃんの苦しむ姿なんか見たくないという複雑な思いが入り混じっていたのかも…。
高橋さんは今後、市民ランナーとして活躍する予定となっています。市民ランナー以外にも解説者やジョギングの楽しさを広めるような活動、指導者といろんな事にチャレンジしたっていい。将来的には実業団チームの監督に就任し、実業団駅伝で優勝&「Qちゃんチルドレン」が五輪出場というような事があるかもしれません。高橋さんや土佐選手、朝原宣治選手といった日本を代表する陸上選手が次々と第一線を退くことで、ひとつの時代が終わったんだと思います。次は高橋さんが築き上げた歴史を若手選手が受け継ぐ番です。野口みずき選手を中心に日本女子マラソンの強さを取り戻して欲しいと思います。高橋尚子選手、本当に長い間お疲れ様でした。そして感動を与えてくれて本当にありがとうございました。



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