〔以下、「待合室」第106回の「2001年冬の長崎市(その4)」(2004年7月23日から30日まで掲載)の再掲載です。なお、今回の写真は、全て2001年12月24日に撮影したものです。〕
浦上周辺を回り、翌日、今度は眼鏡橋周辺、出島周辺などを歩きました。既に第25回から第27回まで、眼鏡橋付近を取り上げておりますので、今回は出島周辺を取り上げます。元の写真を修正したのですが、(今回に限らず)出来が悪いことについては、御容赦下さい。
長崎駅から長崎電気軌道の1号系統に乗り、少しばかり時間が経ちますと出島に到着します。私が訪れたのは2001年12月24日のことで、午前中に眼鏡橋の周辺などを回りましたので、出島には午後になって到着しました。現在は陸続きになっていますが、上の写真の解説にもありますように、1636(寛永13)年につくられた人工の島でした。1641(寛永18)年、平戸にあったオランダ商館がここに移転し、以後、1859(安政6)年まで、日本で唯一の貿易の窓口として機能しました。
江戸時代の出島を模型などで説明しています。案内板、そしてこの模型などを見ても、出島が相当に狭い場所であったことがわかります。実際に歩いてみて、「こんな狭い所だったのか」と驚きました。ここが、江戸時代に外国との唯一の接点だったのです。
出島資料館の建物です。周囲にある建物群と渾然一体となっていますが、この辺りは、史跡としての整備が一通りなされています。時折、路面電車の吊り掛けモーターの音、警笛の音が聞こえてくるのが、いかにも長崎らしいというところでしょうか。
ちょうど、出島のオランダ商館跡の発掘調査が進められていました。最終的には復元工事も行われるようです。そのようなものが出土するのでしょうか。
復元された建物です。中に入ったかどうかは覚えていないのですが、立派な建物です。右側のほうに路面電車が走っていて、すぐに左側に曲がり、裏のほうを通って浜町のほうへ出ます。出島電停を降りると、すぐにここにたどり着きます。
また復元整備事業の看板です。
再び、復元された建物です。
これも、復元された建物です。ちなみに、真裏に長崎県庁があります。所在地が江戸町となっています。この辺りには、銅座町など、昔からの地名が多く残っています。
この後、長崎駅前に戻り、きつい坂道を登って日本二十六聖人殉教地を訪れたのですが、それについては、またの機会に。