JR南武線との乗換駅である京王線の分倍河原(KO25)にて、京王7000系7724Fを撮影しました。各駅停車新宿行きです。
歴史好きの方であれば、この駅の名前を聞いて分倍河原の戦い(鎌倉時代および室町時代)という史実を想起される方も多いでしょう。実際に、分倍河原駅のそばに新田義貞像があるのですが、実は当初から分倍河原という駅名ではなかったのでした。元々は屋敷分という駅名で、先にできたのが京王線の駅で、1925(大正14)年に開業しています。南武線の屋敷分駅は1928(昭和3)年に開業しました。現在の分倍河原に改称されたのは1929(昭和4)年のことです。
実際に行くとわかりますが、分倍河原駅にはJR東日本の駅員がいません。これは、私が知る限りでは国鉄時代からのことで、一つだけある改札口は京王、JR東日本で分かれていません(但し、南武線のほうに臨時改札口があります)。現在は乗り換え専用の自動改札機が設置されていますが、1980年代後半から1990年代前半にかけてはそのようなものがなかったのです。当然、みどりの窓口もなかったのでした。南武線の駅でJR東日本が管理していない駅は、ここ分倍河原駅と八丁畷駅だけです。また、2009年に西府駅が開業するまで、分倍河原駅から谷保駅までの間が、南武線では最も駅間距離の長い区間でした(現在は南多摩駅と府中本町駅との間が最も長く、次に武蔵新城駅と武蔵溝ノ口駅との間、ということになります)。
京王線のほうはというと、現在こそ特急停車駅ですが、2013年のダイヤ改正までは特急通過駅でした(急行や快速は停車しました)。大学に行く際に、南武線と京王線との接続に注意しなければならなかったことをよく覚えています。当時駅で配布されていたポケット時刻表は必ず入手していました。
また、駅名は分倍河原ですが、府中市の町名は分梅町になっています。「ぶばい」の漢字表記は昔から分梅と分倍とがあったようです。なお、分倍河原駅の所在地は片町2丁目となっています。