2024年2月18日(日曜日)の21時から放送された「クラシック音楽館」は、先日逝去された小澤征爾さんの追悼番組でした。
21時から23時30分まで見ていましたが、とくに私がよかったと思ったのが、武満徹作曲の「ノスタルジア〜アンドレイ・タルコフスキーの追憶に」(1987年)でした。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮はもちろん小澤征爾、ヴァイオリン独奏はアンネ・ゾフィー・ムターです。
旧ソ連の映画監督であるアンドレイ・タルコフスキーへの追悼のために書かれ、彼の監督作品である「ノスタルジア」と同じ名前が付けられた曲は、ヴァイオリン独奏と弦楽合奏のための曲で、武満の初期の作品(1950年代後半)にして出世作である「弦楽のためのレクイエム」と編成が似ており(独奏ヴァイオリンがあるかないかで違いますが)、曲風も似ているように思えます。
私は、これまで武満徹の作品を(決して多くはないのですが)聴いてきました。ヴィオラ独奏の「ア・ストリング・アラウンド・オータム」(1989年)、尺八および薩摩琵琶と管弦楽団のための「ノヴェンバー・ステップス」(1967年)などを耳にする度に、これほど自然に聞こえてくる音楽はないのではないかと思っていました。「ノスタルジア〜アンドレイ・タルコフスキーの追憶に」も同種の音楽で、独特の浮遊感が独奏ヴァイオリンと弦楽合奏から漂ってくるような感じなのです。あるいは、空間に漂っている音を捕まえ、響かせた、というようにも思えてきます。
そして、先程記した各曲などを聴く度に思い出すのが、1996年2月21日付の毎日新聞夕刊に掲載された、詩人の大岡信による追悼記事にあった「音を自由に呼吸させてやる」という言葉です。読んだ瞬間に「なるほど」と思いました。
追記:偶然なのでしょうが、朝日新聞2024年2月22日付朝刊1面14版△の「折々の言葉」に、武満徹の言葉が紹介されていました。「政治とか科学とかが凄く極端に進んできているときに、時どきそれを引き戻すのが、音楽の役割だと思うよ」というものです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます