ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

世田谷美術館に展示されている模型

2024年12月28日 01時30分00秒 | まち歩き

 2024年11月30日から2025年2月2日まで、世田谷区は砧公園内にある世田谷美術館にて「東急 暮らしと街の文化――100年の時を拓く」という企画展が開かれています。或る事情によって招待券を入手したので、妻とともに12月某日に訪れました。

 一部だけ撮影可能であったため、私のiPhone15 Proで撮影しました。

 幼い頃から東横線や田園都市線を使い続けている私にとって、非常に興味深い内容でした。もう一度行こうかと思っているくらいです。勿論、世田谷美術館を訪れた日には、用賀駅まで田園都市線の電車に乗り、用賀駅から歩きました。やはり幼い頃から何度となく行った砧公園を歩くのは心地よいものです。すぐそばに東名高速道路と環状8号線が通っていますが、そんなことを忘れてしまうかのようです。

 

 展示の中に、何故か目黒駅、蒲田駅および溝の口駅の模型がありました。手前の建物が何なのかわからないのですが、おそらく、田園都市線溝の口駅から長津田駅までの区間の開業を前にした時期の模型なのでしょう。模型では「溝ノ口駅」となっていますが、1966年1月20日に現在の「溝の口」に改名されているからです。また、同年4月1日、溝の口駅から長津田駅までが開業し、あざみ野駅以外の駅が開業しています。

 模型が何処まで忠実かはわかりません。私が子どもの頃、東急の駅には「東京急行電鉄」か「東京急行」という表示がなされていたと記憶しているからです。ただ、小学校中学年時まで、溝口の街に行くことがあまりなかったので、実のところはよくわかりません。高津駅がまだ高架化されていなかった頃のことは覚えていますが、それも断片的なものです。

 溝口によく行くようになってから、駅の周囲も歩いたりするようになりました。私の大学院生時代まで、基本的な構造は変わっていなかったので、次のようなことを思い出しました。その場で妻に言ったかもしれません。

 「そうそう、国民相互銀行(後に国民銀行になり、経営破綻)があったよ。でも、大学院生時代(1992年4月から1997年3月までです)にあったかな?」

 「小学生時代(1970年代後半です)に東急ストア(模型では「東光ストア」)は長崎屋(現在はドン・キホーテ)の地下1階にあったよ。」

 「一時期、島崎文教堂の本店もあった。ぼくが小学生の時には商店街の交差点のそば、マルエツB館の真向かいにあったけどさ。しょっちゅう移転してた。」(どうでもよい話ですが、私が最後に、ヴァイオリンのレッスンのために通ったカワイ音楽教室は、島崎文教堂の本店があったビルの4階に、現在もあります。)

 「溝の口駅前にあったヤストモの珍来軒の弁当は美味しかった。だから大学院生時代にはよく買っていた。」

 今回は完全に地元ネタでした。


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