1966年、田園都市線の溝の口から長津田までの区間が開業しました。それから50年が経過しました。
現在、長津田駅で小さな写真展が開かれています。こういう書き方は大げさかもしれませんが、開業当時の写真が展示されていることに変わりはありません。
私が小学生1年生であった1975年、8500系がデビューします。この時の田園都市線は大井町~すずかけ台でした。翌年の秋、つきみ野まで延長しますが、相変わらず、緑色の初代3000系や初代5000系など、運用される形式も雑多で寄せ集めという感じでした。また、2両から4両までの編成が多く、当時の時刻表には不定期列車と書かれたものも掲載されていました。溝の口駅で電車を待っていると、次の梶が谷止まりという電車もよく来たものです。東横線と比べても、あまりにものどかな路線でした。
徐々に変わり始めたのが1977年、新玉川線の開業の後です。あざみ野駅が開業したのは、新玉川線開業から少し経った頃でした。1979年に新玉川線と半蔵門線との相互直通運転が始まります。当時、帝都高速度交通営団には半蔵門線用の車両がなく、東京急行電鉄8500系のみが使用されていました(当時発売された記念切符もこの事実をよく示しています)。また、同年、田園都市線は大井町~二子玉川園(当時)と二子玉川園~つきみ野に分割され、前者が大井町線に改められます。中央林間まで開業したのは1984年でした。この頃には8両編成や10両編成となり、開業当初の田園都市線ののどかさは消滅しました。私が大学院生として田園都市線を通学のために利用していた1990年代前半には全編成が10両編成でした。
1980年代の前半まで、あざみ野駅と江田駅との間にトンネルがあったことを知っている人はどれほどおられるでしょう。ここが横浜市であるとは到底思えない、山中の細い、到底自動車が通れそうもない山道が残っていたものでした。
私は、大学院生時代には通学用に、そして現在は通勤用に田園都市線を利用します。小学生時代から、溝の口、梶が谷、宮前平、鷺沼、たまプラーザ、あざみ野、江田、市が尾、藤が丘、青葉台、長津田、南町田といった所に行き(父親に連れられて、ということも多かったのです)、なじんできただけに、今でも田園都市線の沿線を最も好んでいます。
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