ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

養老鉄道養老線の7700系7703F 大垣駅

2019年11月05日 00時00分00秒 | 写真

 2019年11月2日の朝8時、彦根駅から東海道本線で大垣駅へ向かいました。

  米原駅がJR西日本とJR東海との境界となっているため、直通していません。同駅止まりの新快速に乗って同駅で降り、JR東海の車両による8時25分発の新快速豊橋行き(と言っても岐阜駅までは各駅に停車)に乗ります。

 それはよいとして、彦根駅から大垣駅まで向かうには、自動券売機で乗車券を購入しなければなりません。彦根駅の案内を見たら、ICカードを利用できるのは米原駅までで、醒ヶ井駅、関ヶ原駅、大垣駅などに向かう際には利用できないことになっています。彦根駅で係員に尋ねたら、全くできないという訳でもないのですが、大垣駅で係員に精算してもらわなければならないというのです。同じJRグループなのに、この不便さは何なのでしょうか。

 ともあれ、8時56分、大垣駅に着きました。目的は養老鉄道養老線で、2018年11月に東急池上線・東急多摩川線の運用から外れた7700系を見たいと思ったからです。

 2018年8月23日22時56分20秒付の「養老鉄道へ譲渡 東急最古参の7700系」で記したように、一般社団法人養老鉄道管理機構(大垣市)は7700系を購入し、改造を経て2019年2月から養老線で運用されています。

 日本最初のオールステンレスカー、初代7000系を改造したのが7700系ですから、最初に製造されてから半世紀以上が経過しています。そうした車両を購入してさらに20年か30年かはわかりませんが走らせようとする訳です。最初は驚きましたが、養老鉄道にとっては手頃だったのかもしれません。

 また、養老鉄道養老線は、2007年9月30日までは近鉄養老線でした。しかし、経営状態が悪化したということで、近鉄の子会社として養老鉄道が設立され、同鉄道に移管されたのです。それでも近鉄は第三種鉄道事業者として線路などの施設を保有していましたが、2018年1月1日から養老線の第三種鉄道事業者は一般社団法人養老線管理機構となっています。この経緯は、やはり近鉄伊賀線であった伊賀鉄道伊賀線と似ています(伊賀鉄道が第二種鉄道事業者、伊賀市が第三種鉄道事業者)。また、これまでの近鉄の車両を置き換える形で東急の車両を導入したことも、養老鉄道と伊賀鉄道は共通しています。

 JR大垣駅の南側に養老鉄道大垣駅があります。駅名標を見ると、同じ方向に次の駅が二つ書かれています。これは養老線が大垣駅でスイッチバックする形となっているためです。西大垣駅は桑名方面の、室駅は揖斐方面の次の駅です。もっとも、養老線の運行形態は大垣駅で分断されています(やはりスイッチバック駅である伊万里駅で運行形態が分断されている松浦鉄道と同じようなものです)。そのためか、大垣〜揖斐については揖斐線という通称もあります。

 

 ホームで揖斐行きを待っていたら、揖斐方面から7700系7703Fが到着しました。窓には、自転車とともに乗り込むことができる「サイクルトレイン」の標識が貼り付けられています。前日に利用した近江鉄道と同じです。もっとも、今回、大垣〜揖斐では自転車とともに乗車した客を見ていません。

 クハ7903です。赤帯を巻いているのは東急時代と同様です。3両編成で、クハ7903、デハ7803、デハ7703の順に連結されています。養老線に入る際に改造を受けていますが、車体をみる限りでは、屋根のパンタグラフが菱形からシングルアーム形に取り替えられている点と前面下部にスカートが取り付けられている点が異なるくらいですし、側面も、東急の社紋が付けられていた部分がただのステンレス板になっていて養老鉄道の社紋が取り付けられていない点が異なるくらいです。車内はかなり変えられており、たとえばデハ7803の座席はクロスシートに変えられています。また、クハ7903とデハ7703の運転室の後ろには次駅の案内などを示すモニターが取り付けられています。

 7700系は、1987年から数年間、初代7000系に冷房装置を取り付け、制御装置をVVVF化し、台車もパイオニアⅢから別のタイプに交換するなどの改造を施すことで生まれた形式です。当初は6両編成で大井町線に投入されましたが、目蒲線に移って4両編成化され、さらに池上線に移り、3両編成化されました。そして引退まで、池上線と東急多摩川線で活躍したのです。また、十和田観光電鉄に6両が譲渡されました。

 クハ7703の車内に取り付けられているプレートです。東急車両で昭和38年、つまり1963年に製造されていますので、既に56年が経過しています。改造されたのは1987年ですから、32年が経過していることとなります。

 初代7000系はマスターコントローラーとブレーキ弁が別となっているツーハンドル方式でしたが、7700系に改造されてしばらく経ってから、ワンマン運転用として改造され、その際にワンハンドルマスコンが採用されました。運転台をみると、東急時代にマスコンの両側にあったドア開閉スイッチが外される、運転席の上にあったモニター装置が外される、などの改造を受けています。

 この車両に乗って、終点の揖斐まで行きました。土曜日の朝9時台、しかも下り列車にしては、意外に乗客が多かったという気がします(3両とも座席が埋まったりするようなことはなかったのですが)。また、ワンマン運転ではありますが、車掌資格のない添乗員も乗っており、車内補充券を売っていました(ドアの開閉などは運転士が行います)。

 また、ローカル線にしては速度が出ており、区間によっては70km/h以上であったようです。近鉄時代より業績が良くなっているのかどうかわかりませんが、経営分離を行ったことは正解であったのかもしれません。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 近江鉄道全路線乗車記(3) | トップ | 揖斐駅 養老鉄道7700系7703F »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

写真」カテゴリの最新記事