ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

朝の溝口

2013年06月05日 00時11分10秒 | まち歩き

6月3日、小平市にある国土交通大学校での仕事のために、7時頃に自宅を出て、南武線の武蔵溝ノ口駅まで歩きました。その途中、溝口三丁目と二丁目を通りましたので、撮影してみました。

 二ヶ領用水にかかる西浦橋を渡ります。無花果の実がなっていました。実家にかつてあった木で、実も食べていましたので、懐かしくなりました。

 この用水が二丁目と三丁目の境となっており、右側が三丁目、左側が二丁目となっています。溝口は一丁目から六丁目まであり、JR武蔵溝ノ口駅は一丁目、東急溝の口駅は二丁目にあるのですが、どちらも南端というべき場所です。元来の中心地は旧大山街道沿いで、二丁目から四丁目までということになります。高津村役場だったという場所は三丁目にあります。

 橋を渡って二丁目に入りました。この辺りもマンションが増えましたが、旧大山街道と国道246号線に挟まれたこの辺りは一軒家や木造のアパートが多く、何軒かの邸宅もあります。三丁目には小さな藤棚を軒先に置く民家もあります。

 私が小学生であった1970年代後半、二ヶ領用水はどぶ川と言ってよい状態でした。1980年代から水質の改善が行われるようになり、現在では鯉が泳げるまでになっています。

 二ヶ領用水を離れ、溝口神社の近くに抜ける道を歩き続けます。御覧のように狭い道です。これは溝口全体に言えることで、車で走ると離合に苦労したりします。そのため、一方通行となっている道も多いのですが、この道は違いますので、両方から車が来ると大変なことになります。それでも二丁目や三丁目はまだよいほうかもしれません。四丁目、五丁目および六丁目ですと、さらに道幅が狭く、行き止まりの道があったりします(歩行者は通り抜けることができても、自動車では無理という道路がいくつも存在します)。

 鈴木医院のある交差点に出て、溝口神社の裏側を通ります。ここはかつてバス通りでした。現在も東急バスの回送や入出庫系統(早朝および夜のみ)が通ります。普通の乗用車であればたいしたことのない道ですが、バスでは狭く感じます。

 この道を進むと国道246号線の切通し交差点に着きます。そこに吉田園がありますが、その手前にかつて高津市民館があり、私も何度か行きました。現在は川崎市男女共同参画センターすくらむ21があります。国道246号線の側道にある切通しバス停が最寄ということになりますが、入出庫系統のみなので夜の最終に含めた数本しか乗ることができません(朝は高津営業所から溝の口駅までのバスだけに乗れます。但し、朝6時台の数本のみです)。駅から離れており、不便な場所です。

 また、吉田園よりかなり手前には大関の本店がありました。田園都市線では広告も出ていましたし、ニッポン放送でもCMが流れていました。鰻の店ですが、本店はちょっとしたレストランになっており、何度も一家で食事に行ったりしたのですが、溝口の再開発の完成を前に消滅してしまいました。

溝口神社です。高津区内では最も大きな神社で、初詣客も多く、秋祭りは盛大です。我々も毎年、初詣をしています。

この先、もう少し歩くと田園都市線の高架の下をくぐり、同線の溝の口駅、南武線の武蔵溝ノ口駅に着きます。


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